タイパの落とし穴

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タイパはZ世代の言葉だとか。タイムパフォーマンスの略と何となく察しはつく。家族にZ世代はいないがTVは録画してスキップか速度モードで観ている。You tubeは5分〜15分程度であるが、それでも尺が長いなぁと筆者でも結論を先に見ることもある。最近はさらに15秒前後のダイジェスト版が見られるようになっている。

答えさえ知ることができれば、前後は省略してもよい風潮がある。答えを沢山知っていることが優先されるようだ。クイズ選手権にでも参加するのならそれも結構かも知れないが、このタイパが通用するには閾値条件があるように思う。

それは創造不要、進歩不要であるとの条件ではないだろうか。それで社会で務まると考えるのならそれもよし。

だが、人間はもとより創造的生物であるから、長ずるに従ってタイパはダメだったと感ずることになろう。会社でも社会でも特に自然災害、経済的混乱、戦争など予期せざることに遭遇した時、過去に覚えた答えの中から探しても役に立たない。

受験勉強で優秀な成績を収めてなったはずの官僚社会に見るように、いざというときに主役にはなれないのは知られている。(勿論、例外がある) 民間会社でも企画部に配属されると、調査会社にオーダーを出して“答え”を要求する社員がいる。それなりの大学との長い関係から、それなりの部署へ配属と会社は配慮するが、変化を求める企画部を任せるには適していない。精緻な分析に基づく計画立案が優秀社員であるとの信念?がある。企業統合して初めて聞いた言葉が精緻・精緻・精緻。なるほど過去問は得意だったのだろう。だが、そこが大問題なのだ。

技術開発部門において、研究のスタートを特許調査から入ると重箱の隅をつつく平凡な案を出してくるか、そもそも案すら出なくストップしている人がいる。膨大な“答え”を見せられると、それ以外に創造することは無理として出来ない理由を考え始めるのだ。そうではなくて創造的案をまず作り、抵触する特許、文献はないだろうなとして調査することが望ましい。自惚でも構わない、このような案は誰も考えないだろうと妙な過信が技術を進歩させることが多いのが筆者の経験である。

精緻な分析ができる人に限って、異質・異能な人物に出会うと「この人の話すことがなんと無駄が多いのか?整理されていない。利口ではなさそうだ」と片づけてしまう。でも異能な人は違う見方をする「なぜこの無駄とも言える話を持ち出すのだろうか?」結論に至る考え方にこそ本当に伝えたいことがあるのでは?と考える。

別の言葉で言えば、前者の整理がデジタル処理、後の考え方がアナログ処理。

アナログ的思考こそが、いざという時に「考え方―考え方」を繋げることで新しい展開ができることがある。それが得意な人材を筆者は知っている。日頃妄想(pipe dream),(chasing rainbow)的なことを言って部署を任せるに足るか訝るような人である。Chasing rainbowとは実現不可能なことを追っかける意味である。だが、太古の時代、いや江戸時代において空を人間が飛ぶことはおよそ実現不可能と考えていたはずだ。創造性のある人物は存在している時代の中では変人扱いされたのであろう。受け取る方が変わらないことこそ変人であるとの自覚が必要なのだろう。デジタルを駆使しつつ、その限界を見据えてアナログ思考を大いに生かすことだと考えると、デジタル苦手であってもシニアが活躍できる場面はあると考える。シニアの方、自信を持って下さい。

You tubeで答えを急ぐ人にはピース又吉の「渦」における文章添削をゆっくり見るといい。作者の意図を深堀し膨らませ新しい作品に仕上げるその様は面白いと感ずるだろう。

今回のタイトルがタイパなので通常より手短にしてみた。如何だろうか。

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