前橋に行くべく格安切符をJRみどりの窓口で購入した。申し込み用紙に駅名、列車名、時刻など記入し窓口に渡した。駅員さん黙ってしまった。俯いて2分。駅員さん顔を赤らめて曰く「この字はなんて読むのですか?」。ハッと気がついた。つい崩し文字で記入していたのだ。でも高崎経由○橋のところは前橋しかないだろうにと思いつつ、「楷書で書かなかった方が悪い」と謝った。
スマホには崩し字はないからなぁと思いつつ、核家族でないから高齢者が書く文字を見ていないのだと。街で見かける暖簾にある崩し文字は読み飛ばしているのだろう。パソコンの前のワープロが出始める頃から請求書は手書きがなくなった。現在はパソコンであるが出荷記録と紐付けされて発行されている。
それ以前は手書き。月末になると膨大な請求書と封筒宛名書きを手書きする商店を見ていた。小さな商店でさえだから会社では尚更の事務処理労力があったと思う。検算は暗算が好ましかった。その時の文字はスピード勝負なので崩し文字が多い。中には正規の崩し方ではなく、独自書式?の文字もあったが、受け取る方もそれで不便だと言うことはなかった。
今、“あんざん”と打ち込むと“安産”がヒットしてくる。“暗算”でさえ使用頻度が少なくなってきた。三丁目の夕日の当時、算盤、習字、ピアノ、日舞を習う塾があったが、やがて進学塾と英会話塾が大きな比重を占めるようになった。英会話は人気があった。将来の就職に有利と考えたのであろう。
筆者は中学1年の時、夏休み集中英語学習に学校から行かされた。外人教師からアメリカの代表的な名前の名札をつけられた。違和感と抵抗感があり、辞書を引きひきながら親から貰った名前で呼んでほしいと文書を書いて渡した。そんな訳で英会話は上達しなかった。外人教師から指名される頻度がグッと低下したのだ。(と苦しい言い訳)。長じて、会社で外国からのお客様が研究所に来られる時の挨拶文は依頼されることがあった。中学時代の出来事が役に立ったのかも知れない。
ある米国の学会で発表することになった。米国では学校で習ったイギリス風英語は地域によってはさっぱり通じないことを経験した。受付のお嬢さんから「この人何言っているのかわからない」と指摘された。このお嬢さんの発音は崩し文字のように聞こえた。筆者の後ろにいた老紳士が「この人の話はわかる。それは。。。」と通訳していただいた。他民族国家で出身地のお国ことばに加え米国の地域による修飾で多様な言葉の崩し連結(リエゾン)であることを知った。それなら独自の崩し英語ではどうかと試した。
リズムとイントネーションがそれらしくさえあれば変な方言だとして通じる、分からない方が悪いと開き直った。明治の留学生の辞書にあるカタカナ英語は崩し口語。文字からの英語教育よりは現実的だったのだ。桂文珍の落語に登場する老婆がアメリカでバスから降りる時には“揚げ豆腐”と言えば良いと笑わせるところがある。アイ・ゲット・オフではバスは止まらないだろう。
話は脱線した。話を戻して、駅員「新幹線は東京からで・・」当方「いや大宮と書きましたけど」。もう駅員は完全に動揺している。気の毒なことをした。蕎麦屋、寿司屋などで見かける崩し文字・変体仮名など読めると格好が良い場面は多くはないが、その場でさりげなく対応できると大人の気品を感ずるのは事実ある。ある人は大人の色気とも言う。
崩し文字に出会った時にAI翻訳で調べて知識として加える。些細なことだろうが親交する幅が広がる可能性がある。第一楽しいではないか。と偉そうなことを言っても古文書を読解できるには程遠い。博物館では楷書の解説文を読んでいる自分。他人のこと言えない。
地球温暖化予測でノーベル賞を受賞した眞鍋氏は“好奇心第一”と話された。陽の目を見るかどうかに関係なく継続するタフネスさも重要だろう。日本の大学の細々たる予算は研究継続できない状況にある。日頃の水遣り・栄養が重要だ。ある日突然変異して研究が成功した例はごく僅か。地道な支援が重要であろう。
それには崩し文字だの、崩し話し言葉を含むコニュニケーションスキルも必要だ。