2022年 11月 の投稿一覧

伝える難しさ

コーヒーは毎日飲む。平均3.5杯/日。ケーキがあれば紅茶。和菓子があれば緑茶もいただく典型的な日本人。近年では日本人はお茶よりコーヒーが常態化しているが、本当のところコーヒーが美味しいと思って飲んでいるのか分からない。自分がそうだから。

豆の産地・種類、焙煎程度、粉砕機、フィルター、お湯温度、注ぐパターン、速度などにこだわってみての試行錯誤がいつまでも続いても解にたどり着いてはいない。実験計画法の手順により最適解を求める工学的アプローチは馴染まない。その年の天候により生豆の生育状態が変わるなど変動要因がある。近くの地区センターの広報にコーヒーの淹れ方教室のお知らせがあったので応募した。抽選に外れたが、なんと競争率は100倍。平日の開催なので応募する人も時間に余裕がある人々。逆に言えば試行錯誤をしている人々がなんと多いこことか。

抽選に漏れたこともありネット動画をあれこれチェックしたが、個人の立場や器具メーカーとして動画がアップされている。個人の趣向や器具メーカーの思惑が混在しているのはあるが、結局、味については“美味い、酸味、苦味”の超個人的定性的感想しかない。動画の批判ではないが、伝えることの難しさが極端に表れていることの例として取り上げたに過ぎない。

コロナ禍が日本を襲った初期のころ、リモートワークにコミュニケーションは頼らざるを得なかった。知人とコロナ明けはどうなるかについて話をしたことがある。両者の意見は『もとに戻る』だった。だが世間ではソロキャンプでも仕事はできる、移住先でも仕事はできるとして、もて囃されたのはご承知の通り。従来通りの仕事はインフラ基幹関係や医療従事などに絞られていた。量販家電では、時折立ち上がって作業をするための上下する机や長時間のデスクワークでも疲れないe-sport用の椅子、カメラ、ヘッドセットが大きな売り場を閉めていた。

つい最近、twitter社を買収したイーロンマスクは週40時間通勤してワークすることを命令したとニュースになった。週40時間とはなんと短いとは思うが、出勤命令に従わない場合は即クビには流石に驚いた。筆者は知人と「やっぱりね」と。

欧米のオフィスは大部屋でなく、個人ごとに区切られた空間にいて、一種のリモートワークのような作業形態ではあるが情報を共有伝達する仕組みはある。日本のそれは大部屋方式(最近では個人の机がなく島が点在する共通机方式)になっており、雑談も含め情報の伝達は優れていた。昔は内外との伝達手段は電話であり、他人の仕事も自然に把握することができた。今は静かにパソコンタッチをするだけで極端には隣の人にもメールをする始末。(電話ができない人が増加の背景もある)また、メールなら途中で修正できるが、電話だと口に出した瞬間から後戻りは大変だが、その人の味であり考え方を理解するに有用なのだ。

日本の「和の強さ」は時として弱者の戦術と揶揄する風潮なきにしもあらずの最近だが、先日の対ドイツ戦のサッカーは適材適所、臨機応変、変幻自在の戦術が結果論としてハマった。しかし、ベンチ、スタッフの「和の一体感」無くして、なり得なかったのは誰しも感じたはずだ。

リモートワークに適している職種と人材がいることも事実であるが、job to do が明確になっている場合に限られる。日本のサラリーマンでは5〜10%程度ではないかと推定している。普通は上司の仕事の仕方などを参考に自分の業務以外に自分なら何ができるか考えながら成長するのが普通なのだ。長期的戦略を企画する場合においては社内の垂直・水平および社外との切れ目のないコミュニケーションが必要となる。時々に会うだけでは「絵そら事」「お遊び」として受け取られ、いつまでも実現しない。そのうちストレスが溜まる状態になる。

冗談半分で言えば、大阪のおばちゃん井戸端会議的な伝達方式がよほど適している。展示会では若いイケメンが説明員として立っていることが多い。ところが、肝心のところに客を誘導する前段階の会話が念なことが多い。遠いところから時間と費用を使って視察に来た人に「あう価値、会社を気に留めてくれる」を醸し出すことが求められる。そのためには顔のシワにそれらを染み込ませたシニアや気さくな女性の方が効果ある。展示品だけで釣り上げることも、展示品を餌に大鯛を釣ることも展示会では求められるが、それが可能なのは、言語的にブツン・ブツンと切れがちで繋ぎが少ない標準語よりは、繋ぎに繋いで最後はほっこりするように落とし込む関西的言語が好ましいのではないか。もちろん偏った見方ではあるが、首都圏出身者でありながら、赴任経験などでそのポイントを把握している人もいる。その意味でDXを営業に持ちこむことの限界はある。単なる注文とりで営業マンと呼ばれても良いのなら別だが、それでは人間をしているには勿体無い。そうは思いませんか?

クルマ自動走行に思う

「やっちゃえNISSAN」 手放し&アクセル踏まなくても自動走行するクルマのキャンペーン。キムタクはドライバーではなく単なる乗員の一人。随分思い切ったCMだ。法律改正により、主として高速道路で合流や緊急事態でない限りの条件付きの自動走行ができる。条件なしのレベル3より一歩手前の2.5レベルとのこと。

ここで“思い切った”と表現したのは、最近身近で起こったことを考えたからだ。一人は赤信号の交差点の先頭にいた時に省エネモード・アイドルストップ状態で待機。さて青信号になったのでアクセルを踏んだが、セルが稼働せずエンジン動かない。後続のクルマから遠慮気味のフォーンが徐々に強い音量に変化し本人は焦りまくった。一旦リセットしたところエンジンが動いて地獄状態から脱出したと話してくれた。整備工場へ直行し判明したことは、業界では有名な話だそうで、早速セルの交換。その費用6万円であり省エネと採算が合わないとこぼしていた。

もう一人は筆者自身がつい最近経験した。午前7時ごろの高速湾岸線は工場地帯に沿っていることもあり、流入ポイントの数や車両も多く、いつも大渋滞。渋滞時の速度は3〜5km/hr。まさに高速道路というより拘束道路。非渋滞ゾーンでは前車追随モードで運転しているが渋滞ゾーンでそのままにしておき、ストップ・微走行を繰り返したところ急にエンジンが停止。パーキングブレーキが自動で作動して赤い文字で「マニュアル運転に切り替えて下さい」の警告。徐行に楽なのが車間追随システムのはずが、度を過ぎるON-OFF頻発にクルマが悲鳴を上げたのだ。赤い警告文字に驚き、追突されないか後方を見た。

マニュアルにはその警告記載がない。営業マンから徐行の時は便利ですヨと言われて、確かにそうだと納得していた。後から考えるに自動追随走行では「ある一定の間隔が開かないと稼働しない」。その間隔は日本独特の大渋滞においては横のレーンから割り込まれたり、後続車から煽りを受けることになるので、回避するための裏技がある。その裏技を駆使したところで車は停止したのだ。何事も裏技には限度がある。

この2例だけで結論を言うのはできない。前者は部品が徐々に劣化し閾値を超えるとする警告があれば対応もできたはず。後者は想定外の交通事情を反映しないシステムに原因がある。

「やっちゃえ」の場合の警告が充実しているか、事故になった場合の責任の所在と任意保険の関係は整理できているのだろうかと不安になるのだ。そこは発売するからには保険との調整は済みのはずだが、購入する際には念入りに確認しよう。多分メーカーとしての製造物責任が今以上に厳しく求められる。冗長性(万一のトラブルに備えて重複して装置を用意)対応のために複数のバックアップ装置を搭載することになるであろうが、そこを解って運転したい。 おそらく快適すぎて運転のために身体を使わないとなると単独運転では睡魔が怖い。確か20年ほど前に日産の研究者がドライバーの目の動きをカメラで捉えて警告するシステム作りに着手していたことを覚えている。日頃の地道な活動が「やっちゃえ」に繋がっているとすると、ヤンチャな言葉ではあるが、研究陣の自信も伺える。

余談だが我が家のガス調理器具が使い古して見栄えが悪くなったので更新することにした。ガス会社の人が普通は10年寿命ですが、こんなに長く使用するとは珍しいと驚いて、次に何を言うかと思えば「最近の製品は以前より寿命が非常に短いです。その理由は半導体の使用箇所が増加したことにある」と説明され一瞬クルマの案件とリンクした。

車に搭載されている半導体の数は知らないが、部品点数が1万個を超えることを考えるとそれの何十倍はあるのだろう。自動運転にはソフト製作者、インテグレートした責任など複雑に絡むだけに技術進展以上に運用面での詰めに時間を要したのだろうと推察できる。逆に購入する立場からすれば部品の劣化におけるメンテ及び期限を管理することが求められ、そこを怠ると自動だから運転者の責任は軽減されるとは限らない。また、今後 一般道で適用されるにおいて、歩行者、自転車との事故において責任の割合が逆転することもありうる。

妙なことを言わせてもらうなら、通信障害や隣に走行するクルマからの(意図的でないにしても)妨害電波で不安定になりはしないか? 電磁波シールドまで説明を受けないと納得しない。パトカーは速度、信号などの違反取り締まり中心から、これからは通信に関する情報管理記録の役目も負われそうだ。

今週のブログは文脈がノロノロと歯切れが悪いく、脇道に入りがち。それもこれも渋滞のせいとしてご勘弁下されば幸いです。

高齢者運転認知症テスト

お近くのご高齢の人との話「いや〜ぁ大変です」。何かと聞けば、今年から適用された高齢者運転適正テストの申込のこと。免許更新の前に認知機能及び運転技能が合格でないと免許が更新できないシステムになった。(バックアップはある)。

認知・運転技能試験は自動車教習所と免許更新センターで受け付ける。近くの自動車教習所の受付は電話のみで平日の13時〜16時とあって、電話が集中して一向に通じない。その人は46回トライしたが全滅。コロナワクチン1回目の時の申込大混乱と同じだ。それほど横浜の高齢ドライバーは多い。結局は市内から遠いが二俣川の運転免許センターに数回の電話で通じたようで、それも2ヶ月先とのこと。やれやれ。

いつの日か筆者も“お受験”になるだろうとの興味本位からWEBで調べたところ、あるはあるは「認知症検査に関する高得点対策」。簡単な「今日は何日?」のチェックシート(全問正解で回答の20%をとることができる)。 高齢者にとって厳しいのは次のテストが点数の80%を占める。それは1枚に4つの絵が書かれたシートの4枚(合計16の図)を覚えておいて、質問により記憶力をテスト。ヒントなし正解の場合は5点、ヒントがあって正解では2.5点と計算する。16個の図で一組の4パターンあるので合計64の図が用意されている。合計で36点以上取れば合格。

ある図に目が引きつけられた。大砲、機関銃、戦車などの図。戦前・戦中派は嫌な記憶としては強烈であるはずで、その人達にとっては正解稼ぎの問題とみた。ただし後期高齢は今年であれば昭和22年組の戦後世代。これらの形は本ではみたことがあっても、名前を正確に言えない世代。さらにラジオの図はどこの家庭にも今なない。足踏みオルガンも今はない。エレクトーンと書けばバツだろう。

対策としては図の名前を文字って語呂合わせで覚えておく、シナリオを作成して覚えておくなど教えている。問題の図が公開されているので、語呂合わせ、シナリオ記憶が通用するようだ。でも無理矢理なところがあり、逆にそれさえ覚えていられないのではないだろうか。

過去の記憶力テストが本当に運転する際の認知テストと言えるのだろうか? 心理学や脳科学を知らないので無責任な発言だろうが本当は不思議だ。

咄嗟の判断が必要な時の認知機能とは例えば、横断歩道を渡ろうとしているのか、人待ちしており渡らないのか確認をする、サイドミラーやバックミラーに映る物体がどのような速度で移動しているか、そしてその後どうなりそうなのか?を正確に予測することにあると思われる。

運転シミュレーション検査があれば可能だが、この装置がない場合はどうするか?

  • 運転席から見える光景を覚えさせる。建物の影に人がいそうか、追越車線に車がいたか、暗い画面でライトを点灯していたか、標識は何だったか?

また速度メーターは○km/hrであったか など。SAから逆走コースに入る高齢者が間違いやすい図を見せて、どちらに行きますか?の質問などが考えられる。

  • フロアーに高齢者に並んでもらい、前でインストラクターがダンスの一部をする。それを真似て体を動かす。右手を上げて、左上げない の例の旗あげでも良い。これができると5点。次にステップを追加する。インストラクターが右足を前方に出したら左手を上げる。これができたら5点。次にこの速度を3段階に変化して最後まで追随するか。。。。など目と体の認知と反射機能を同時に評価するのは如何だろうか。ブレーキとアクセルを踏み間違える高齢者はこのテストでは厳しい点数となるだろうし、また改良点も見つかるのではないだろうか。
  • 煽りにあって余裕で冷静な態度が取れるか否かのアンガーマン診断

人ごとではない。ちなみに若かりし頃の高橋真理子のバンドメンバー(ヘンリーバンド)は独特のステップや回転を入れながら演奏していることが多いが、あのステップを1回みただけではできない。足がもつれるようでは先が思いやられると自戒。それこそ下駄履かせの問題もあるかも、冒頭の戦車やラジオのように、ある昔の歌手の真似なら大丈夫。東海林太郎、藤原一郎、菅原洋一は直立不動。それに近い五木ひろしの真似もできるか。

幸いなことに更新不適合となった場合(免許返納した方を含め)歩道も走れる電動スクーターが発売開始とのこと。時速6km, 33kmの走行性能。WHILL社があるので落胆することはない。それを利用するのも良いではないか。

私流リーダーの見分け方

徐々に秋も深くなるこの頃、朝方はコート、ダウンを着ても日中は上着が邪魔と温度のアップダウンが激しい。ひんやりするとポケットに手を入れながら歩く人が増加する。

筆者にはリーダーになる人か、なれない人を見分ける指標がある。大袈裟な表現だが、「ポケットに手を入れて歩く人は本物のリーダーではない」。一般的には靴の手入れ、カバンなど持ち物が相応かどうかは判断基準とされる。それより何気ない行動での「ポケットに手」説が当たる確率は高いとみている。特にズボンポケットに両手を“本物の”リーダーがしているのを見たことがない。

その理由は① 姿勢が前屈みで自信がなさげに見える ② リーダーとして重要なコミュニケーションにおいて話しかけづらい ③スーツを大事にしない無神経はその他に対しても通用しているのではないかと推察される ④視野が狭くなり、仕事はルーティンさえやっていれば良いと考えているように見える。クリエイティブ雰囲気は伺えない。など手厳しいが、そういえば、そうだなぁと思い当たるところありませんか?

まさか人前ではポケットに手はしないが、癖になっていると徐々に仕事などへの影響があると思われる。偉そうに言っている筆者は入社直後に注意されたことがある。注意をしてくれた人は当時30人を率いる研究グループのリーダーであったが、その後、事業所長を経て何万人をも率いる会社の役員になられた。筆者は別のグループに属していたが、ポケット手以外にも色々な教えを頂いた。品があり笑顔が絶えないのでこのリーダーは厳しがありつつ人気があった。真似できないがあるべきリーダー像を学んだ(今もできていないことを断りながら)。

そんな些細なこと・・・・ついでにいえば、信号が赤でもクルマが来ないので渡る人、運転免許証がゴールドに一向にならない人、横断歩道では留まらず逆にスピードを上げる人、歩きスマホで道を譲らない人、出張旅費を“ある種の工夫”する人・・・お咎めがないことが積分した結果リーダーとして失格への道を自動選択している。まして会社のトップにその癖があれば会社が被害を受けることになる。

このブログで稲盛和夫氏を取り上げたが、大企業の石川島播磨重工(IHI)、東芝を率い、経団連会長を引き受け、中曽根内閣の目玉である国鉄民営化など辣腕を振るった土光敏夫氏ほど清貧な人はいない。NHK放送で質素な暮らしぶりが紹介された。「メザシの土光」と呼ばれる食事風景、社有車を利用せず、バス・国鉄で通勤などは、難局を打開することができるリーダーとして国民の誰もがその姿を通じて納得した。

その後の東芝はどうなったか? 不正会計の誤魔化しが原因でいまだに迷走している。経営者の個人的性格も反映しているのではないかと個人的には思う。スケールが更に大きい悪はカルロス・ゴーン。日産を食い潰した。給料はトヨタの首脳より4倍でも不足だと文句をつけ、公私混同というより私利私欲に走った。会社の資金を懐に入れて豪遊を繰り返し、豪邸をいくつも有し、不正を追求されると楽器ケースに隠れて国外逃亡。レバノンで国外に出られず国際手配もあり幽閉状態で人生から脱落した。身体的なことを非難するのは避けねばならぬが、日本に登場した時の顔つきに、やり手ではあるが、胡散臭い顔だと筆者は感じた。多くの人も同様に思っただろう。

今はコンプラアンス・ガバメント重視。機能させるにはCEOの個人的な物欲的な癖・保身性が土光さんを見習うのが好ましい。会社に限らず国の運命を決める立場にある国会議員も私利私欲がなく国民に奉仕する意識が必要で、まかり間違っても利権に目が眩んでは議員はもちろん人生から落伍する。政治姿勢が緩むと若手官僚も影響を受けて入省当時の高い意識も萎え物欲に走り、補助金詐欺により逮捕される事態に。小さい時から、些細なことも注意されずにスルーしてきた結果だろうか。

イーロンマスク氏によるtwitter社買収が完了した。と同時にCEOを始め役員は全員解雇された。一部は戻すとの報道もあるが、新役員陣を(政治的スタンスは別として)どのように選択したのだろうか興味がある。雑誌Diamond Harvard business Review11月号にアイーシャ・ディ氏の記事があるのを見つけた「経営者にふさわしくない人材の見極め方」。超要約として「企業はコーポレートガバナンスを経営資源に投入したが、不正行為はなくならない。企業を率いる人に着目し、CEOのライフスタイルを調査。不正行為と相関する資質を2つ特定した」。とある。詳しくは同紙を参照されたい。

軽微な交通違反など規則違反から(金に目が眩んだ)物質主義に溺れたトップのライフスタイルは会社不正と深い関係があるとのこと。我々一般的にはCEOと接触する機会はあまりないので、作業班、チーム、グループ、事業部門のリーダーを眺めてみてはいかがでしょうか。ポケットに手は案外納得されるのでは?と妙な過信の癖。その癖を直せとのお叱りがあれば素直に頂きます。

脳は考えていない?

10月19日のE-テレを何気なく見た。織田裕二MCの脳に関するサイエンス番組。それにしても強烈なタイトル。ご専門の先生を中心にゲストを交えて「脳は考えていない証拠」を紹介。驚いた。人は考えていなく、脳がその前に自動的に行動をしているのだと。その後でその行動について後付けの言い訳を発している。具体的に3つの実証実験を紹介。最もインパクトがあった一つを紹介する。(裏付け文献を見ていないので、そのまま記載します)

男にマジシャンが二人の女性の写真を見せて、どちらが気に入りましたか?と質問し、男性はこちらの人と指差す。そうですかとマジシャンは男性が見た写真を裏返しにして、次にその写真を元に戻したように見せて、「この女性のどこが気に入りましたか?」とマジシャンが質問。

その写真は気に入らなかった女性の写真とマジシャンが入れ替えたのにも関わらず、好きな理由を延々と話す。この実験を三人の男性にしても同じ結果。30人の男性が全て同じリアクションをしたとのこと。

事実無根をあたかも真実のように話す人が(あのTV業界以外の)ある会社にいた。 議事録が間違っていると主張し、面談していた筆者を含めドン引きさせられた。米国なら心理カウンセラーが対応するだろう。だがちょっと待ってほしい。今回の「脳は考えていない」が真実であれば心理カウンセラーの他に何か加える必要がありそうだ。

脳って何? 火傷をしそうな時は体が脳の指令の前にアクションする。その後に脳にホウレンソウする仕組みだとか、腸内菌が考えを握っていて脳はアシストするとの文献もある。 脳科学者の今後の活躍を待たれる。

勝手な解釈だが、過去のアルゴリズムプログラムを体が自動起動する。考える前に決まっている。その後で言い訳を付け足している。 プログラムは個人・個人により生まれてから成長するまでの過程でバージョンアップされていく。社会の組織における活動ではプログラムを選択しながら人間という動物は生きているともいえる。

そのようにできた生物がサバイバルできたとも想像する。

女性が伴侶を求める要因を昔は三高と言われた。だが、美女と野獣の組み合わせもある。野獣=イケメンでなく、低身長・ブサメンもおられる。子孫を残すのが最優先条件であり、伴侶と決めた後で、彼のそこが好きなの・・・と理由を述べていることになる。ペアーで仲良く歩いている女性が見知らぬ男性とすれ違いざまに視線を投げるのは、この伴侶で良いのだと確信する動物的行動だろうと思う。間違ってもすれ違う男性が妙な誤解をしてはいけない(笑)

自己顕示・承認要求を優先にしないと生物体が社会生活で具合が悪い事態になると察したら、自動プログラムが稼働する。後付けはどうでも良い。 議事録事件はそんなことだろうと当時思ったものだ。

そういえば、テレ朝のT-川さんも、長期低落で益々厳しくなる環境のTV社会で生き残るべく目立つ必要を口が脳より先に本人の意思に関わらず作動したとも(擁護する気持ちは微塵もないが)言えるかも。世間的には責任はとる必要はあるが。昔から口から先に生まれたのでは?と言われる人がいるが、それにも通じることなのかと妙な短絡。彫刻家、画家など芸術家も脳より手先が先に動くのだろう。ジャムセッションでの予定調の旋律より、アドリブで指や腕が勝手に動く方が聞き応えがあるのも、そうかも知れない。

それにしても脳科学の解析進化には驚いた。

筆者も他人事ではないと思った次第。だが、脳でなければ、どこで考えれば良いのか。ますますわからなくなってきた。 修験者の如く滝に打たれる、千日回峰など体に新メニュープログラミングと置き換えをしないといけないのかも。凡人である我々にとっては旅やスポーツがそれに変わるのかも知れないと脳ではなく体が納得するだろう。と後付けの言い訳をして街をぶらぶら。