2019年 2月 の投稿一覧

翻訳と科学創造性

京都。多くのインバウンド トラベラーズが訪れる古都であるが、グローバルにおいて存在価値が高い先端企業が集中するテクノロジーシティでもある。この短い文章にカタカナが5つ。分かるけど、まだ許せる。次は如何でしょうか。

「京都レジリエンシーシティ・SDGsフォーラム開催」京都市民への広報である。こうなると一体何を伝えたいのか分からない。市役所の役人でも理解している人がいるのか?と訝りもする。開催フォーラムの中にシンポジウムがあり、パネリストとして。。。? フォーラムとシンポジウムの区別は?パネリストのお名前を見て「なんだ座談会」かいなと分かる。

 レジリエンシーを日本語で言えば「災害、犯罪、貧困からの回復が可能な都市であり、サステイナブルで開発の目標を決める大会」である。これでも咀嚼不良となる。サステイナブル=持続可能として形容動詞が開発にかかるのか目標にかかるのか分からない。

 何故こうなるのか? カタカナの直輸入で意味を咀嚼し、わかり易いように意訳する能力に欠ける人が増えてきたことと、単にカッコしいで使っているかも知れないが、使っている人さえ概念を理解していないことが多い。旧制高等学校の学生がショウペンハウエル。イッヒ・リーベ・ディッヒと叫んで、意識が高いぞ!と自慢していたことと変わらない。庶民はカタカナ用語を多様する人は本当は分かっていないと見抜いているものだ。

 空襲と地震で壊滅的破壊された都市がフェニックス宣言したことがあった。こちらの方が一発で意味するところは理解できる。フェニックス=不死鳥は誰でも知っているからである。

 FB仲間の一人はビジネス・マネージメント・コンサルタント。この人が言うには「工業社会が終焉し情報化社会に世界が移行しつつある中で、先行している米国から様々な組織マネジメントの考えや手法(成果主義、目標管理、リエンジニアリング、バランス・スコアカード、360度評価、サーバントリーダーシップ、コンピテンシーなどなど)が紹介 されました。しかし、それをうまく日本の組織に取り込むことができなかった。」と記載されました。

 しかしながら、皮肉なことに成果主義と目標管理は多くの企業が採用した。採用できなかったのは全てカタカナ用語。日本語に翻訳か意訳がなされていない。これで概念から具体的な手法まで理解して実行するには無理がある。江戸時代はオランダからズックやランドセルが、ポルトガルからはカステラの単品商品はそのまま日本語にしてしまったが、哲学・概念はカタカナでは通用しない。逆に日本哲学や宗教を外国に知ってもらうには英語に的確な翻訳か意訳する必要ある。新渡戸稲造、鈴木大拙らが高く評価されている理由は的確な翻訳が出来たからである。

 明治の文豪は意訳することが富国にもつながるとして色々工夫をしている。正岡子規や森鴎外など。。。とFBで返したところ、もう一人の知人がこのような文献があると紹介してくれた。それが福田眞人の「明治翻訳語のおもしろさ」である。

 I love you.をどのように訳するか。意外に難しい。愛と訳すには仏教の愛とは違う。さりとて、恋、色恋、惚れた、ともやや違う。君を愛していると言っても日本人の琴線に共鳴しない。君が大好きだ!がまだ近いのだろう。この本では二葉亭四迷が浮雲の中でラブと表記し「愛=死んでもよい」と訳したとか。漱石は「月が綺麗ですね」と訳した。遠回りだが、前者は熱い情熱が、後者は好きですと平易な言葉では言い表せなく胸がときめいているのを敢えて抑えてやっと口にだした精一杯の言葉と解釈できる。この心の動きが読み取れるような意訳をしないといけないと考えたのであろう。

 日本の科学技術が強い理由として学術用語が日本語であり原理的意味が納得できる言葉であること、日本語で論文を読むことができることが大きく関係している。

全ての科学技術を外国語で対応している国は強くない。表面だけの成果に活用できても基礎技術が育たなくてと嘆いている国がある。日本人のOBがスカウトされて教えても、とどのつまりは結果だけ教えて欲しい。出世には手っ取り早いとのことなのだろう。創造性は基礎分野の掛け合わせが重要である。医学、物理、生物、化学、機械、電気電子、農水産、数学、計算化学などのどの分野においても即概念を理解できることが本当の強みを発揮できるのである。明治時代の翻訳・意訳された方々に頭が下がる思いである。 

地域産業技術研究センター

「産学官」連携に金融機関が加わり「産学官金」連携になりつつある。日本の産業は中小企業に支えられている。ただし先端技術をフォローするには産学官連携だけでは実用化が困難である。一方、特に地方の金融機関は貸出し利ザヤで利益を出す従来のビジネスでは通用しなくなっており、中小企業を金融面でフォローし育てざるを得なくなっている。

大企業は比較的財力に余裕はあるものの、最先端技術の間口が広すぎることもあり各方面で開発できる力量のある研究者に枯渇している状態にある。

このような諸事情の中、地域産業技術研究センターはもっと知られて良い存在であり、活用されることをお勧めする。ある産業技術研究センターでは大学・高専・隣接県の技術センターをプールした運用をするところもあり、大学から博士過程の学生を産業技術センターに派遣して実用技術を習得させることで、地に足がついた人材育成も実行されている。

各県の産業技術研究センターの発足は概ね明治時代の中期から後期に掛けて発足している。多くは繊維産業、窯業産業から出発している。繊維産業が発展して近年では炭素繊維複合材料となりロケット、自動車、ロボットに展開。織機が工作機械に展開し、現在では3Dプリンターにまでつながっている。

各県の技術研究センターの特徴は明治初期の産業を反映している。事例を挙げると山形県は蔵王・出羽三山からの美味しい水を利用した酒醸造へと展開、福井県は繊維から炭素繊維及びデザインセンターへ、鳥取県ではカニからキチン・キトサンバイオナノファイバーへと発展している。岩手県は南部鉄の歴史を踏まえ、鋳造材料を東北各県と協力しながら鋳造でありながら鍛造品レベルへの材料開発を実施するなど地域ならではの活動を見ることができる。

 それでは、大企業が集中している都会はどうか。産業技術研究センターが不要な大企業が多く存在している。さらに地域の特徴が取り立てて無い、と思われ勝ちである。しかしながら、中小企業は東京でも存在する。太田地区、多摩地区、葛飾墨田の城東地区などは、機械加工、繊維産業、江戸文化の新時代へのバージョン転換など工夫を凝らした技術で生き残りをかけている。太田区の城南支所は精密三次元寸法測定、CAD/CAMシステム、3D プリンター、最新電子顕微鏡SEM,TEMを揃え、金属、セラミック、樹脂の解析には相当のチカラを有している。多摩支所では繊維を中心としているが、コンピューターシミュレーションの開発にはレベルの高い人材を配している。城東地区はやや雰囲気が異なるが、例えば漆の原木を粉砕したパウダーに漆の液を混合し熱プレス成形すると一気に漆食器ができる。見事な仕上がりである。指導されたのが城東支所。お台場・青海に全体コーディネート機能と基礎研究センター機能を有している。

当方が良く利用するのは材料分析、熱力学的物性評価、形態観察などである。依頼する場合もあれば、単独で利用できる場合がある。共同研究も可能である。一番のお勧めは技術専門家との事前相談と結果に対する議論ができることにある。相談員の多くは博士、修士を取得し、大学や企業で専門職を勤められた方もおられる。民間分析センターは存在するが、例えば分析では赤外線でこれを調べて下さい。と要望すると、その通り回答がある。ただ、よく利用している都立産業技術センターでは、本当は何を知りたくて相談しにきたのか?の背景をよく聞いて、それなら、赤外よりも熱分解ガスクロが効果的ですね。とアドバイスがあり、それが的を射ていることもあった。また相談を受けた者や、実験に携わった人からみれば、現在の業界の実態を知る機会ともなり、双方にとって有りがたい存在となる。

 東京都に肩入れする訳ではないが、中小企業で料金が別体系になっており中小企業にとってはありがたい。他府県の企業でも都内企業と同じ条件で利用できる。また被災に遭われた地域に製造・開発センターを所有する東京都本籍の企業の場合は、無料にすることも(アイテム次第ですが)ある。これは石原知事の時から実施しているが、さすが東京だけの財力に預かっているが、でも、その決断には驚いた。 東北地震に続いて現在は熊本地震での被災者起業救済が行われている。

写真はお台場にある都立産業技術センターに展示してある3Dプリンターによる樹脂製バイオリンである。その製造までの工程で関わった技術は次の通り。(パンフより抜粋)

 *XCT 3Dスキャナーを用いたバイオリン構造データーの採取

 *3D-CAD ソフトによるリバースエンジと3Dデーターの構築

 *コンピューターシミュレーションによる構造、振動、音響の解析

 *3Dプリンター 粉末ベッド積層法

 *音色など各種測定

かなり広範囲なインフラと人材が必要であることが分かる。

そこまで対応できないこともあるが、例えば国の産総研やNEDOと組みサテライトを技術研究センターに置くことで迅速にして広い要求に備えるネットワークを構築したところもある(福井)。官ではあるが、なかなか民営のセンスがあると関心している。

♪ゆ~き~が~降る。あなたは来ない~。東京に雪が降ったので口ずさみたいところが、直ぐ降り止みトピーカンの翌日。情緒がない。友人からは「雪が降ろうが降らなくても、あなたはには来ない!」と言われたことも。空を見上げどこかにきっと と乙女チックな男は他にもいるだろうに。

雪国ではこんな暢気なことは言えない。毎朝、除雪してから通勤・通学する風景が当たり前で重労働の割に生産性は全くない。豪雪地帯がある。積雪量が多いのはわかるが、理解されないのは雪質。北海道や長野では粉雪で家庭でも買えるミニ除雪車で吹き飛ばすことで除雪が可能。だが、北陸地区では水分たっぷりなので吹き飛ばすことはできない。サンパチ豪雪(昭和38年)の時はスコップよりは氷屋で使う大型ノコギリでブロック状に雪の塊を立方体に切り取り、チェーンを掛けてお城の石垣のように積み上げたと聞いたことがある。それほどガッチリした固さの雪塊。日本海側を走る列車から田んぼの真ん中に高層マンションが建っている風景を良く見る。買い物には不便だろうにと思うが、さにあらず、雪かきをしないで済むことが最大の理由なのだ。北陸地区は豊かであるが、それにしても鉄筋コンクリートの建物が多い。これも除雪頻度を下げたいことにある。

雪のない地域に慣れ親しんでいると、この感性がない。湘南平塚選出の河野太郎のお爺さん河野一郎が建設大臣(今の国交省)だったとき、珍しいことをした。自衛隊に出動命令をしたのだ。隊員は北海道、三重、鹿児島の陸上自衛隊。火炎放射器を帯同しての突撃命令である。戦争でもない平時に隊員が一列に並んで雪の壁に火炎放射。大臣は半日もあれば解決すると談話したが、連絡がこない。雪は火炎放射に耐え?僅か半日で10cm溶けただけ。午後には燃料も尽き、火炎放射器をスコップに持ち替えての作業。ここでも誤算。雪慣れしている北海道部隊は活躍。雪を初めてみる鹿児島と三重県久居ヘリコプター部隊は足をとられ無駄な体力消耗で効率ダウン。

それ以来、道路には融雪パイプや道路ヒーティングシート(カーボンブラック配合樹脂)の敷設が進んで、往時の豪雪トラブルは解消した。。。。と思っていたら、一昨年は極僅かな時間に集中豪雪があり、それでは間に合わなくなってきた。 このときの国交省及び防衛省は反省をして精鋭部隊を送った。北極からの冷気吹き出し異常現象変化。酷寒の地に赴任している友人から試しにバナナで釘が打てましたなど報告があった。

さて、こうなると、自然天候との知恵比べが開始される。またとないビジネスチャンスの到来でもある。30年ほど前は雪雲が発生したら銀粒子を空に撒けば核となり雨に変わることを実証した事例がある。銀粒子に変わるものは何か??。そこは感性のある地域の大学などが研究しては如何かと。

春になると雪国の道路は地方自治体の経済状態のバロメーターになる。リッチな地方自治体はブルトーザーで傷ついた道路が直ぐ修復されるが、そうでない自治体が増えているように思う。田中角栄は新潟はどうして雪に見舞われるのか、越後山脈があるからだ、それならいっそのこと山をなくせばと考えても不思議ではない。列島改造論には豪雪地帯ならでは想いがあるように想像(妄想)している。

最後に、雪質のよい北信越スキー場で華麗なターンや雪をかき分けてのスラローム。ゴーグルを外さなければモテる。ところが中部飛騨高山や北陸のスキー場ではターン技術が未熟だと綺麗に曲がらない。ゴーグルを装着したままでもモテない。それほど雪質が違うのだ。長野オリンピックのルージュのワックスを設計した某大学教授は自信満々だったが、試合当日は朝からの雨、これで残念な結果。雨でも優勝できるWAXを開発すべきだったとは後の祭り。外見以外にもモテる要素が必要だと分かるのは年齢を重ねる必要がありそうだ。

因みに、雪面とそりの界面の摩擦抵抗を解析するにはトポロジーが差配している。このトポロジーを上手く利用しているのが3Dプリンター。 滑って転んでもただでは起きない感性も技術進展には必要だ。

剛と柔

入社して配属された研究室には115人がいた。5つの研究室でひとつの樹脂関係の研究所を構成していた。海外との交流もあり、文書作成にもそれなりの格調が求められていた。英語が嫌いで文系には向いていないので技術を選択したはずが、それでは通用しない。分かっている。だが、先輩が室長に提出した書類を窓を開けて外に放り投げられる様を目の前にすると指が硬直して動かない。 

 具合が悪いことに外国の技術者と情報交換する機会が来た。四苦八苦して作成した資料を上司に加筆修正して頂き、これで用意万端と会議に臨んだ。しかし、先方は書類のある一点を見つめている。英単語が理解できないとみた上司は厚さ15センチの古色蒼然たるウエブスター英英辞書を開きながら、「ほら!これですよ」と指し示した。格調のある単語には間違いがない。本当に知らなかったようだ。その時は上司の知識に驚いたものだが、あとで考えると日本人だって古文書を急に理解しろと言われてもお手上げで解説が必要。通じてなんぼのモノと思ったが、上司には新人だけに逆らえなかった。 言えば当方の稚拙な文章を説教されかねなかった。

英国人が感心するとは凄いですね~と。 持ち上げたのが災いしたのは、その冬にスキーに出かけたときに事件が起こった。T大スキー部出身の上司はチャラチャラした流行のストックは使わず、伝統のトンキン竹製にこだわる。かなり使い古している。環を止めている皮が切れかかっている。楽して頂上まで行けるゴンドラやリフトは使わない。ひたすらハの字スケーティングで山やゲレンデを登る。そして滑走。もう読者は想像できるとおもいますが、滑走中にストック先端の環が雪に取られてしまった。麓付近まで降りてきてから探してくるようにと指示。山が暮れるのは早い。雪に埋まっていてどこかも定かでない。またスケーティングで登り始めた。この無茶ぶり。今ならパワハラで訴えられるところである。今にして思うと世の中や会社のなかにも無茶・苦茶・理不尽は山ほどあるとの教訓だったのかも知れない。千本ノックなければ長島はミスター長島にはなりえなかった。

 時は20年経過し、プラスチックスの成分が川のオスの魚をメス化するとの小説がカナダの作家から発表された。社会にとって衝撃的な事案であった。関係する諸外国企業も憂い、協調して真実を追究しようと研究組織を立ち上げた。錚々たるメンバーが会議や夜の寿司バーで話し合う。医学用語が飛び交う場で、またまた小生の頭は???マークで埋め尽くされた。だが、面白いことに英文そのものは中学英語程度で会話している。それでいて皆さん上品。無理して格調高い単語は使用していない。相手の話をじっと聞き、間髪入れずに意見を述べる。当時の社長は医者の家系であるが、その雰囲気だけで言葉は平易であっても格調に化学反応で変化するものだと気がついた。 側に控えていた小生に医学用語をそっと解説してもらうことで、共通の場に居ることができた。 新人のころは「剛」をたたき込まれ20年後に「柔」を学ぶことができた。 「柔は剛を制す。ただし剛があっての柔」。

その事案から随分と経過した今。あの当時交流した会社・人脈とは全く異なる案件でも、「あの時の」の一言で例え初めてあった人も一瞬にして邂逅。そして本音で話しができた。これは有りがたいことだ。先日来日の客人。銀座もやや外れの串揚げ屋でざっくばらんなランチ。立て串だけでなく横串でも互いに協力しましょうと約束して別れた。