2018年 8月 の投稿一覧

空間分節“エッヂ・スピーカー”

漫才グランプリ(M-1)をとった中川家の弟の方(礼二)は鉄道マニアとして知られている。その礼二の得意ネタにホームでの自動放送と駅員の声がミックスされて混乱するさまのモノマネがある。「まもなく電車がまいります。黄色い線の内側までお下がり下さい」の自動放送の途中で駅員の早口独特イントネーションが途切れ途切れで入る。どこの駅でも同様な経験をしているので礼二の芸達者振りには拍手喝采する人が多い。「まもなく中津行きがまいります」との放送で今度は兄が倒れるパターン。中津駅は地下鉄御堂筋線の新大阪駅手前。大阪の人で新幹線に乗り遅れる経験者が多いのだろう。ここも笑いどころ。小生もその一人だった。昨日までは。

この笑いは晴眼者だからだとハッと気が付いた。放送と挿入の声が重なるのは目が不自由な人の聴力神経にとってどうなんだろうか。異なる周波数分布の音が断片的に耳に飛び込んでくる。さぞ迷惑だろう。青信号と同時にサイン音が流れる交差点がある。地下道では「こちら〇〇駅方面、反対が△△方面です」とスピーカーから流れることもある。白杖での歩行を音でアシストしている。そんな浅い理解しかしていなかった。これらの音は指向性スピーカーから流されており、今現在、どの特定空間を歩いているのかとは教えてくれない。目の不自由な歩行者は、全体の中で、どこにいるのか、この先に障害物があるのか、エスカレーターや階段はどこなのかを知りたいと思っている。 

昨日、目の不自由な人はスピーカーからの音や自分の発する音の反響で立体空間の変化を知ると聞いて正直驚きとともに凄いと思った。聴力機能を視力補完として100%以上発揮しているからこそできる。具体的には天井の低いところでは低周波数~高周波数の全音域を聞こえるが、広い空間では低周波数領域が聞こえる。これで広い空間に移動したとわかるとのこと。同時に障害物があれば低周波数が優先して聞こえると金沢工業大学の土田教授(建築学)から教えられた。

スピーカーの周囲に邪魔板を設け音が拡散せず、特定空間を分節する“エッヂスピーカー”を提唱。(図参照)

音源や強度も種々検討し晴眼者には気にならず、不自由な人には頼りになる。そんな研究をされている。ホームの「何号車の前」などの情報がこれで可能になれば利用範囲がもっと広がるはずだと講演を聞きながら考えた。

2年後にはオリンピック、パラリンピックが開催される。身体の一部が不自由でも残りの機能を100%以上に発揮してのパラリンピック競技者。肉体的戦いの前にどこの機能を活用し鍛えたのかの視点は、人間の潜在的生命力は必要とする出番が来れば補完し人は生かされていることに強く気づくであろう。ならば我々は何ができるのか。インバウンドで訪問される人にも注目され“エッヂスピーカー”がユニバーサルになればと期待しているが、介護アシストデバイスのロボットスーツなど軽量・低コスト化、駅員の補助なしに電車に乗り降りできる車椅子、四肢不自由な方の自動運転の車など相手方の事情を反映したモノづくりは意味的価値も高いと思う。

米国燃費目標 保護de反故?

スキージャンプで日の丸飛行隊が活躍すると、次の大会までに例えばスキー板の規格を変更するなどルール改訂?が欧州勢回復策として浮上し、次の大会では狙い通りになることを経験してきた。野球でも飛びすぎるバットや飛ばないボールも変更対象にあがってきた。改訂とは言えルールは共通なので、体格的に不利でもテクニックでカバーするなどで対応している。

ところが、オバマ前大統領が決めた2025年までの年度ごとの燃費目標を国内自動車産業が立ち行かなくなるとして撤廃するとトランプ大統領は言い出した。理想主義と現実主義の対立。(オバマ目標2025年 23km/L 適用商品がなければビジネスにならない商売人トランプならではの発想。技術開発を信用していないこと、EVに熱心な中国では国内EV販売が思うように進まず、やがて米国への侵入してくるであろうとの懸念も本音であろうと想像する。

 環境問題をリードしてきたカリフォルニア州は汚染空気が滞留しやすい地形を理由に独自のルールを設けている。ワシントン高官はこのカルフォルニアも含めるとコメントを出しているが、加州は強く反発している。同調するその他の州もあり米国内ではダブルスタンダード化が簡単には解消しないようだ。

(カリフォルニア州は排気ガスゼロのEV車、燃料電池車の割合が基準を満たさない場合は販売できないか他社の余剰枠を買う。この余剰枠販売でテスラモータースは日本メーカーから巨額の資金を調達した。ワシントン高官の言う通りならば返金要求可能だろうか気になる) 

ダブルスタンダードでたまったものではないのが日本やドイツ勢。トヨタ、日産、ホンダに加え、マツダ、スバルも対象となっている。州内で6万台以上販売したとしても、残りの州向けのエンジン、排ガス対策など異なる車種製造は厳しい。 加州向けに一定の割合の製造しつつ、他州には新ルール車を製造することになりそうだが、いつ新ルールが反故にされるかも不安もある。なにせ反故歴が米国にはある。

 第一次オイルショックの1970年代にマスキー法が制定され、排気ガス規制が施行するとの報告を受け、どこも達成不可能とみていたが、ホンダがCVCCエンジンをシビックに搭載し、颯爽とカリフォルニアを走行。このころマツダのロータリーエンジンが出現し世界の注目を浴びた。米国は自動車産業保護の観点からこの法案を反故にしたことがある。 反故には前歴があるのだ。

その後も自動車メーカーごとの平均燃費を規定したCAFE(corporate average fuel efficiency)規制(15km/L) がドライビングフォースとなって、エンジン改造、ダウンサイジング、内外装の樹脂化、アンダーフード部の機能性樹脂による金属代替など軽量化もありCAFEもクリヤー。平均燃費向上にハイブリッドが貢献したのは言うまでもないが、その他のパワートレインEV(電気自動車)の生産台数も増加する一方、従来のリチウム電池代替の全固体電池の姿が見えてきた。充電時間の圧倒的短縮と走行距離が延びるなど活気的な技術開発がトヨタから発表されている。同時にトヨタ、ホンダはFCV(水素燃料電池)も進展している。 

 米国勢はCAFÉをクリヤーするために何をしたか。実に面白い。CAFEルールは車格ごとに決められている。小型車を軽量化するよりは大型重量車の軽量化で基準をクリヤーする方が手っ取り早いと考えたのであろう。米国車は従来より大型化に移行している。ルールといえばルール。

ドイツ勢はディーゼルの燃費不正問題からEVにシフトと思いきや、ここに来てディーゼル復活の声が出始めた。ドイツ政府をマネジメントする立場からするとEV車での失業問題が容易に予想できるので、ディーゼル燃費不正問題がケリがついたら戻るのではないかと予想していた。

 ディーゼルエンジンは炭酸ガスの発生量が少ないがチッソ酸化物量が高いことがネック。排気ガスに尿素水(アドブルー)の噴霧と触媒の最適化で乗り切ろうとしている。 VWは尿素水噴霧をエンジン燃焼直後と床下の2か所で噴霧するなど工夫はしている。化学反応ではバッチ処理より逐次回数反応の方が効率が良い。これを利用したのであろう。尿素水タンクと燃料タンクの2つが必要。乗用車でもベンツクラスであれば尿素タンクもありだろうがCクラス適用には無理がある。

日本でもディーゼルはトラックには必要である。だが、小型トラックに関しては今年のモーターショーで日野自動車から触媒担持にナノポーラス体を利用すると尿素水タンクが不要であると発表。さらにマツダは排気ガスの一部をエンジンに戻し再燃焼することで解決している。フレッシュ空気の量がその分削減されるとパワーが出ないので全体の排気量を増加させ、フレッシュ空気の量を減らさない発想で設計した。ディーゼルエンジン本家ドイツをマツダは追い越した。

 ドイツ勢は日本メーカーのシツコク諦めない研究と経営姿勢をどう見るか興味深々。 革新的技術開発には時間がかかる。 四半期ごとの決算会計システムでは長期的な経営に障害があるのではないかとして米国で見直し機運がでてきたようだ。この場合は好ましいルール改訂だと思う。

意味的価値

経営学を学んでいる友人が米国ナイキを訪問した際に「目標 売り上げ2倍、環境負荷1/2。そしてsustainableなビジネス、社会を作る」とあったと知らせてきた。なるほど目標が曖昧で倫理綱領さえない会社がある日本よりは良いだろうと思いつつ、この目標は誰に向かってなのか?CEO、株主、投資家向けには理解するが、Company(一緒にパンを食べる仲間の意味)の社員の姿が見えてこない。

今、池田勇人が存命ならば「環境負荷1/2、継続できるビジネス、社員ともども所得倍増をし、それによる社会貢献をしよう」というであろう。

友人の解釈はこの目標を設定することが「もの作り」だけではなく意味的価値(一橋大学の延岡教授の言葉)があるとのこと。浅学の小職は意味的価値が正直分からなかった。何だか若者の「私的には・・」をも想起させてついていけない。理解不能の小生に友人から対極に機能的価値があるとヒントをもらって文献を読んだ。幾つもの機能的価値(機能的価値は評価法・測定法でカタログに明示できる)のトータルが意味的価値である説。一方で、意味的価値はユーザーの感性によるとの説。延岡教授はiPhoneは機能はその後に開発された他社品より、持っていることが愉しい。それが意味的価値だと例示されている。

この説は約8年前に発表されたが、現状はどうかと小生の経験で言えば、次世代材料や製品を考案・企画・試作・市場評価のどの工程でもユーザー満足度をまず満した上で、エッ!?「これって有ったらいいね機能」をプラスしておくことはどの設計者もデザイナーも意識している。単に製造工程の短縮で生産性を高めるだけの「もの作り」は海外勢との競争に晒されて卒業しているのが実情ではなかろうか。 

iPhoneは確かに革新的であった。ジョブズを応援したい気持ちも後押ししたのではなかろうか。機械言語をマスターしなくても、誰でもパソコンができるマックに助けられた人は多い。またトラックボール(マウスのような機能)も可愛かった。フォントのオーサカも人気があった。ウインドウズに崖っぷちまで追い込まれながらのiPod,iPad,iPhone 出現に判官びいきもあり応援した。単なる持って良かったではなく、歴史・経過をユーザーは見ている。ジョブズのプレゼンテーションは従来のやり方を変えた。これも新時代を象徴するようで、その時代を共有するにはデバイスが必須だと思わせた。

極端であるが、洋菓子の攻勢に対して和菓子も健闘している。和菓子を買う理由の一つが接待する相手に「いわれのある」茶菓子を用意することで、接遇のレベルを分かって欲しいとの思いがある。出された「いわれのある」菓子を知らずに食べようものなら恥をかくことがある。いわれのある=隠れた意味的価値なのだろう。創業100年程度では選択肢に入らないこともあるようだ。特に京都では要注意。

燃費不正は日産に始まり、スバル、マツダ、スズキ、ヤマハ と連鎖。測定法云々理由はあるようだが、国交省からのヒヤリングがあって初めて報告するとは「もの作り」としては情けないが、意味的価値では非常なダメージである。意味的価値の付加は困難でも失うのは簡単だ。これを「他山の石」と肝に銘ずるべきなのであろう。

機能的価値より意味的価値が圧倒的に突出しているのが芸術。先週金曜日、新宿柿傳にて開催の高橋奈己展「白い陰影」を見に行った。美しい襞が静謐ながら躍動的であり、かつ上品な色気がある素晴らしい白磁作品。高橋奈己さんは幾多の受賞を受けている理由が分かる。花器としては使用後の洗浄し難い口径なので機能的価値としては小さい。ところが、白磁のお茶碗で頂いた抹茶には、色彩コントラスト、適度な重量感、唇感触などを感じ思わず背筋が伸びた。

磁器の原料のカオリン(長石)はプラスチックス複合材料として利用されている。ウム。同じカオリンとして発掘されながら、最終的な製品価格はとんでもない差がある。これが意味的価値か・・・と納得して帰路についた。

私の甲子園

夏の甲子園が始まった。皆様にとって色んな想い出があるでしょう。歯科業界のなかには甲子園児だった人もおられよう。小職の高校は旧制中学当時に出場権は得たものの迫り来る戦禍に中止になった。戦後は地方大会でも1回戦負けの記録が延々と正に縁がない。陸上部からの臨時選手で埋めるようではそれも当然。それでも突然変異でプロ注目の投手が現れると3回戦まで進んだこともあるが、卒業すると元の木阿弥。 

甲子園の土は踏むことはできないが、小生にとって甲子園アルプススタンドや外野席(芝生もあった)での観戦歴は結構ある。家を朝の4時に出て、始発の阪急、阪神と乗り継ぎ甲子園に到着。脱兎如く走り中央口に並ぶ。このとき新聞紙を手に疾走するバイト学生と競争になる。バイト学生は球場オープンするやいなやバックネット中段のピッチャー球筋がよく分かるところに駆け上がり新聞紙を拡げて場所取りをする。当方も彼らに負けずに席を確保すべく、階段などの障害物を越えて目的の席へ。試合開始2時間前の障害物競走が終わると、静寂が訪れ朝食弁当にありつく。バイト学生はスカウトの為の場所取りで本当はルール違反だろうが球場も見て見ぬ振り。プロ野球で活躍しスカウトに転じた人や有名な野球評論家がいるので、そう強くは言えなかったと思う。今のスカウトの名誉の為に言うと往時の風景であって今はない。

こちらの楽しみはスカウトの雑談解説を聞くことだった。

「おい、あのピッチャー 評判だけど、もう肩がダメだな」とブルペン投球を見ただけでの判断

  →プロになったが活躍せず。

「あの監督のサインはエンドラン。バレバレのサインだ」 

→見事に当たった。地方大会から追っかけでチェックしてきたことだから言えるのだろう。現在のサインはプロ並の複雑さ。

「おい、あの監督への挨拶はどうなっているのか」と部下に指示するスカウト

「ゴーストライター記事に目を通す評論家」この記事が明日のスポーツ新聞に載る。

米国スカウトがスピードガンを持っての観戦も普通になってきたが、初めのころは放送、新聞関係者が米国スカウトにインタビューをしているのを聞こえる席で聞いていた。今年も人材が豊富なのでさぞや賑やかなことだろう。

今は見られない光景に銀傘裏天井から紐に結わえられたカメラのフィルムロールがスルスルと降りてくる風景。そうカメラマンが上で撮影したものを受け取り、新聞社に送る人がいた。熱気が籠もる場所で下には滅多にいけないカメラマン。それで熱中症にならなかったのが不思議なくらい。今ほど暑くはなかったのかも。

内野席に入れないときの外野席も結構面白い。地方色が多彩でそれぞれの地元愛を熱く語る人もいれば、プロで大成した人と同級だったが、自分は裏街道に入ってしまったと回顧反省を語る人もおれば人間模様それぞれ。で最後は食べ物、飲み物を交換しながらの観戦。目の前にホームランボールが飛んできた。その選手の名前を忘れないのも外野席の愉しみのひとつであろう。

就職先の三重県で生まれた長男は小学校時代から地方大会ネットに定石のように動かずに観戦。両校の応援団からの差し入れもあり、朝から晩まで張り付いていた。親譲りだが親以上。小生の転勤に伴い横浜にくると長男の高校は2回戦どまり。大学時代TV局の野球関係のバイトをするなかで、横浜校の渡邊監督と会話をすることがあり凄く感動したと。どの道でも極めた人物には頭を下げるだけのパワーと魅力が備わっていると長男からのコメント。この長男も今年の横浜高校の試合日程で甲子園に駆けつけると聞いている。実家に寄るよりは甲子園が惹きつける。これも甲子園の魔物かも。

81512時の合図にスタジアムは静まり黙祷を捧げる。黙祷の間は無心であるが、終わると何故か戦争の戦略・戦術と野球と似ていないか?など思いつくことがある。欧州にいた外交官からは戦争突入せずに、別の和平方法があるとの強いサインを出していながら、無視して強攻策をとる大本営。 日清・日露の地方大会で勝利したので世界大会でも勝てると盲信した当時のエリート。それを囃し立てるマスコミ応援団。相手のベンチのサインを読み損なった結果、最後は自滅コールドゲームで敗戦。その間に散った犠牲者を考えると戦いの前から、かのスカウトの読みのようにしていれば。。。と思わざるをえない。スケールの大小はあるが人間のやることはあまり変わらない。

デジタル印刷

IGAS (International Graphic Arts Show)2018がビックサイトで昨日まで開催されていた。近くで打ち合わせ後、帰社には時間があったので見学した。平面のデジタル印刷の延長が3Dプリンターと考えて何か関連性があるかもしれないとぼんやり考えたのもその理由。

ブース1~6まで大型デジタル印刷機械のデモ。 印刷素人の当方からすればどれも同じと思うが、精緻さについては長年の経験が織り込まれた印刷技術を3Dプリンターに応用するところがあるかもしれないとの皮膚感覚でウロウロ。歴史的には印刷方式は分類すると4種類ある。凸部にインクを載せて押印するように印刷する凸版・フレキソ印刷(子供のころの芋版年賀状がこの部類)、  段ボールへの印刷はこのフレキソ印刷が一般的で精度をさほど要求されないが、5年ほど前から急激に精密性が向上し、オフセット印刷と見間違えるポスターも出てきた。凹部にインクを充満させて印刷するグラビア印刷、親油性インクと水溶性インクを交互に重ねるオフセット印刷、そして謄写版の孔式印刷がある(謄写版:60代以上は微かに記憶。先生から渡される宿題は謄写版。下手な人は虎縞になった)。

自治体のゴミ袋や大手衣糧品メーカーの紙袋などは大量生産可能なグラビア印刷に、名刺やポスターなど精緻な印刷はオフセット印刷が利用されている。グラビア印刷では版元から文字・絵柄などが取り次ぎ商社に送られ→版下作成→版元・デザイナーと調整し微修正→銅シリンダーを削り凹部とし、図柄を転写させ印刷するが色合わせに時間がかかる。インクが凹部に入り印刷物が通過する前に表面のみ転写させるために余分なインクを掃き取ることが重要で、ドクターナイフの表面精度が要求される。ゴミ袋や紙袋の生産は中国がメインとなってしまったが、グラビア印刷機やドクターナイフは日本製でないと合格率に影響する。オフセットの代表的な対象は新聞、折り込み広告、ポスターなどであるが印刷数は多い。

それではデジタルだと何が変わるのか? メルマガなどWEBサービス、SNSもデジタル媒体だが、どう違うのか? 大きなブースをみるとHP、キャノン、リコー、富士ゼロックスなどインクジェットプリンターメーカーで超大型 インクはパソコンと同じカラーのカートリッジ。 CADから直接アウトプットできるのは普通のパソコンと同じ。BGRをCYKに変更するソフトは2年前にみたことがあるのでクリヤーしているのであろうと想像した。

印刷業界がシュリンクする傾向のなかで、この大型投資をするのか?説明員が曰く、メルマガなどWEBにユーザーの関心が薄れてきた。特定ボックスに振り分け、開封せずに消去する人が出てきた、それよりはDMの方が効率が高いとの統計的データーがある。。。。そうかも知れない。でもそれだけではないと思い見本をみると実に面白いことが分かった。それは個人宛の印刷対応ができること。お誕生日カレンダー(写真)、商談会への個人案内(写真)などは一括大量印刷ではなく、個別ユーザーへのマーケティングには従来にないインパクトがある。

個を求め始めたマーケットとデジタル印刷(紙or フィルム、金属箔など)の可能性に気づき始めたマーケターの流れだろうと思われる。斯界トップの凸版印刷では単なる新規広告だけでなく、新規ビジネスへ拡張企画を発表している。HPブースでは「紙、復活」を合い言葉に関係会社のデジタル印刷機能を発表していたが、製紙メーカーはパネルのみ参加と合い言葉と一致していない印象を受けた。それもそのはず、製紙業界は原料パルプの高騰、燃料、諸資材の高騰、物流費の上昇を受け値上げをせざるを得ない状況にある。一方でセルロースナノファイバーの新規開発も同時並行で進めていることもある。ストローの紙化は耐水性問題から樹脂ラミネート、フッ素化合物の表面塗布が技術的にはあるものの、価格で合わず世界で僅か2000トンの為に設備対応もできず空気を輸送するような製品では物流費もバカにはならないなど、諸手を挙げて紙化を歓迎出来る状況にはない。印刷機械メーカーは踊れど製紙メーカーは踊りたくても。。。