2021年 3月 の投稿一覧

紙かスマホか

スケジュールの確認・記入のツールは多くの人はスマホ、タブレット、パソコンだろう。でも文具売り場には手帳も堂々と陳列してあることからすると利用する人もいるのも確かである。恐らく、背広の内ポケットから使いこなした雰囲気の手帳を取り出すイメージがあり、イマドキの人ではなく“おじん”の雰囲気があることは確かだ。電車の中で手帳を広げているのは年配者。若い人を見かけない。当たり前だとの声が聞こえてくる。今の電磁媒体は予定を記入するだけではない。WEB会議が予定されていると、その時のULRとアクセスコード番号も同時に記録されており、指定時間の30分前には警告がなされ、このカレンダーからWEB会議を立ち上げることができる。会議主体者になればメンバーに会議開催の連絡もできる。デートの場所マップもアクセス出来る。こんな便利な機能の真似は紙手帳にはできない。選択余地なし 勝負あった!

しかしながら、早合点は禁物だ。

紙か電磁媒体のどちらが記憶に有効なのかを科学的に説明した論文がある。東京大学が東大生や一般人36人にスケジュールを紙やスマホ、タブレット媒体に記入する速度の比較。次にある特定の日の2つ前の記録を思い出す課題をだして、その正答率を評価した。(日本の研究:3月19日東大プレスリリース)

その結果。論文ではポイントとして以下3点を紹介している 論文引用

  • スケジュールなどを書き留める際に、スマートフォンなどの電子機器と比較して、紙の手帳を使った方が、記憶の想起に対する脳活動が定量的に高くなることを発見しました。
  • 異なる記銘の方法で記憶の想起のプロセスに影響が生じることを、脳活動から初めて実証しました。
  • 教育やビジネスにおいて電子機器が多用される中、記憶力や創造性につながる紙媒体の重要性が明らかとなりました。

脳波で比較すると手帳の方が脳活動が活発になっている。再び引用する。

「言語処理に関連した運動前野外側部と下前頭回や、記憶処理に関係する海馬に加えて、視覚を司る領域でも活動上昇がすべての群で観察されました。このことから、言語化・記憶の想起・

視覚的イメージといった脳メカニズムが関与すると言えます。さらにこれらの領域の脳活動は、手帳群が他の群よりも高くなることが定量的に確かめられました。このことは、記銘時に紙の手帳を使うことで、電子機器を用いた場合よりも一層豊富で深い記憶情報を取得できることを示唆しています。」

 

評価対象者36人中 何人が東大生かは開示されていない。記憶力が抜群で入学できた素質のある者だけに、一般的な人間に適用するには、正答率にしても、脳活動変化率は違うだろう。だが、そんな嫌味なことを言うつもりはない。紙に記入するときには紙を相手に書いてはいるが、その時の空間も織り込んで書いていることは誰でも経験する。

英単語を覚えるには苦労する。だが、使った場面や英文の手紙を貰った当時の事情とリンクすると不思議に全文が残っている。紙に書いたり、口に出して何回も風呂につかりながら口ずさんだセンテンスはその光景と共に思い出す。

プレゼンテーションの資料作成において、パワーポイントにエクセル、ワード、写真など挿入すれば、見栄えの良い資料ができる。Q&A方式においてアニメーション機能を利用すればQで時間をおいて考えさせて、次にAを開示する。これで初めからAも書いてあると記憶に残らない。

今回の東大の結果を応用するなら、配布資料にはQだけ書いて、Aは空白にして、自分の回答を書いてみる。そして発表者のAを更に書き加える行為をすることで理解度は深まるのではないだろうか。

学生時代の話であるが、ご指導を頂くべく教授の部屋にいくと30分から1時間の沈黙があり、自分でも、今の段階で質問するのは愚の骨頂と感じて出直しをすることがあった。簡単に答えを教えて貰ったら、その後どうなったか?。それにしても教授の忍耐力とこの学生に考えることの愉しさを教えたいとの教授の情熱を今も忘れない。

学生時代に限らず社会人になっても、良い指導者に巡りあうことがあるが、この教授タイプの人に出会うとこの人は本気で教えたいのだと反応する。この文章を書きながら思い出したのは道元が起こした曹洞宗大本山“永平寺修行僧受け入れ試験”である。山門の前で修行願いを出しても拒絶から始まる。毎日その繰り返し、雨、雪があろうとも門の前に立ち尽くす。その間に熟慮に熟慮を重ねて目的の明確化と覚悟を決めるのである。禅問答に応えるだけの修行の基礎土台が必要なのだろう。上述の教授がなされたことと同じであることに漸く気づいた。

すぐ、ググルことで(誰かが書いた)解答を求める姿勢は刹那的であり、これの繰り返しでは人生を終わるころには「勿体なかった人生」と思うことであろう。そうか手帳も買うとするか。ブログの締めくくりとしてはなんとも安易なソリューションであると苦笑いしつつ。

70歳就労努力義務に考える

今年4月から、70歳までの就労機会の確保を企業の努力義務とする改正高齢者雇用安定法が施行される。理由は少子化に伴う労働人口減少を高齢者にも働いていただいて、全体の労働人口をキープしたいとの考えに基づいている。勿論女子にも働いて頂くことが前提になっている。

ここ15年の間にサラリーマンの定年が60歳から65歳になり、次は70歳。随分の拡張である。もとより年金制度の(人為的であれ、自然現象であれ)行き詰まりもあり、支給開始年齢を60歳から63歳のあいだの選択から、65歳まで支給しないことになり、70歳開始だと更に受け取る金額はお得感があると政府は囁いてのことである。囁くどころか義務に何れなるだろう。

昭和22年~26年までの第一期ベビーブーマーはとっくに定年を迎えており、その方々はタップリ退職金や年金で余裕の暮らしをしているかと思いきや、仄聞するところによれば、企業年金の土台(国民年金)が減額になり、企業年金についても70歳を越えると減額になるなど、この年齢層でも生活レベルを従来の感覚を縮小しても厳しいものになっているようだ。それでもあるだけマシと後輩は言う。だが、金銭的にカツカツの生活でなんとかする人でも、一番苦しいのは毎日することが無い!これは苦痛のなにものでもないようだ。定年になったらゴルフ三昧したい。旅行に出かけたい。。。あれこれあるが、遊んでいては尚更だが、例え図書館に居ても何の為の図書調査なんだと自問することだという。つまりはなんとなく心が満たされないのだ

日本人に埋め込まれた働くことが美徳の意識が中々抜けきらないらしい。これが欧米だと年金暮らしが理想の人生を送ることで、連れ合いとの旅行や新規の趣味に没頭することができるのだが、日本はそうはならない。そんな中、政府が努力目標で70歳定年を企業に指導することになり、本当に働きたい人にとってはありがたい制度になるであろう。だが、雇用する企業にとっては大問題。若い人に負けず劣らずの能力を発揮し、さらに豊富な経験を活かして効率的な研究開発ができる特性をシニアは持っていることを発揮できるならば企業にとっても有益である。

豊田中研所の菊池所長は海外研究機関で働いたあとで日本に戻って提案しているのは「基礎研究こそシニアがすべきである」と述べている。基礎研究は兎角ヒット率が低い。山登りに例えるなら、この道しかないと研究を着手すると崖や滝壺にぶつかり、心が折れることがある。でもシニアは、いろんなルートを経験しているので、これがダメなら、別の方法で、見方を変えると案外簡単かも、となる。筆者も研究開発の経験があるだけに納得する。

しかしながら能力のあるシニア層は雇用安定するが、それに該当しない人は企業は抱えきれない。大器晩成といっても50歳以後で大化けするのは極めて少ない。ということで企業としては、出向転職を勧奨するか、希望すれば企業内ベンチャーの創業資金を出して本体から期限付きで切り離すことなどが行われるであろう。いずれも必要とするマーケットがあっての話だ。

先日、ある人材紹介企業の話を聞いた。上場企業役員経験者、主席研究者など1万人を登録されているが、マッチングしているのはその1/10であり、役員よりは開発経験者が多いとのこと。こうなると下手に役員になるよりは、将来のことを考えて専門(それも1本足では厳しいのでスイッチヒッター、二刀流など)を貫いた方がよいのかも知れない。今の若い人が人生設計を真剣に考える時がきた。

シニアでは能力があっても体力が持たないのでは話にならない。

シニアに若い人と同じメニューの体力測定をすれば、測定中に骨折など事故を引き起こす。だが、例えば30秒ほど片足立ちをすると、骨盤回りの不整合や背筋など筋肉が弱っていると、その場に立ち止まることなく、アチコチ動いてしまう。壁や椅子に片手を置くと安定することから、面白い装置が開発されている。

横浜国大の島教授グループが起業した会社(合同会社UNTRACKED)では指先につけたセンサーに立位状態での仮想壁にタッチすることで安定に保つように働く力を観測することで、転倒せずに作業などの仕事が可能か否かの判定を定量的にすることができる。

また、老化=酸化劣化と捉えての研究・応用が進んでいる。これについては後日、ブログにアップ予定。心技体はスポーツに限らず、ビジネス、人生を愉しむには必要だ。人ごとではない自らも意識しないと。

出光・エネオスGS出口戦略

出光が超小型EV車を製造販売すると発表した。TAJIMAと組んで120km/回充電で走行でき、150万円程度で販売とあった。ガソリン販売事業が赤字でかつ将来ガソリン需要が減退するとの読みでEVにシフト。この発表の前にエネオスが牛丼の宅配ロボットを試みているとの記事もあり、まさか嘘だろう?と思いきや、その直後に水素ステーションに乗り出すと発表があった。先行き水素は大化けするかも知れないとは言え、足許の燃料電池クルマ自体の価格がEVに比べて高価なので訝る向きもあるだろうが、国家戦略の一丁目一番地は昔からエネルギーにあるのでエネオスの決断したのであろう。これは燃料電池=水素取り扱い規制改革を2年前に公布され誰かが突破口を開けないと道は開けない。先のビックサイトでの水素・二次電池関連展示会ではトヨタのブースでは整理券を出さないと入れないほど盛況であった。

出光は電気を使うクルマを販売、エネオスは電気を造る素を販売とGS両巨頭の戦術は分かれた。(但し、出光は以前から地熱発電には注力していることは付記しておきます)

出光超小型EV車についてTAJIMA社長の分析では100万台のニーズがあるとのこと。

日本のクルマの国内販売台数約500万の2割を食うのか、それともバイク、自転車層を取りに行くのか興味がある。超小型EVの実態を知らないので無責任に言えないが、バッテリーはマンション・アパートの部屋に持ち込み充電できるとありがたい、(EV車が爆発的に売れない理由の一つがマンションでは充電できないことにある)、税金分類は軽並なのか、車庫代は普通車と同じだろうし、都会では近場でも高速利用した方が便利なことがあるが高速料金の軽自動車見直しがなされる昨今において、この車格はどうなるだろうなどを心配するのは男の発想。

女性特に子育て主婦の発想は違う。電動自転車が圧倒的な人気を誇り浸透している。何故か?それは朝の通勤時に子供を乗せて幼稚園、保育園へ乗せていき駅の駐輪場が利用でき、帰りには迎えに行って公園などで主婦同士の会話を愉しむには駐輪しても問題がないからである。最も大きいのは財布に優しいからでもあるのは勿論だ。雨が降ろうが塩ビ製カバーで突破する主婦、親子で歩いて行く。そんな風景が日常になっている。チョイモビは横浜市内では日産が超小型EV車を製造し市中の特定パーキングにある。希の利用をみることがあるが、多くはパーキングに常駐しているように利用頻度は少ない。風が強いと吹き込むデザインや、特定パーキングまで行くには面倒だなど理由はあるだろう。

日経の記者(2021.3.2)は超小型EVはクルマが必需の地方において免許返納者でも利用できる、そのための制度が好ましいとも発言している。ただ、返納する理由(肉体的老化、認知気味の人でも運転可能とするには)に鑑みて自転車と資格が同じとするには矛盾していると考える。先進運転支援システムを導入すれば150万円販売は厳しいのではないだろか。

ガソリン等石油精製メーカーにはガソリン価格の半分は税金に奉仕する仕組みもあり気の毒な面もある。なので儲け頭の潤滑油に依存しつつも、多くの新規材料開発に精を出していたときがあった。だが、社内事業規模の閾値があるのだろうか市場展開に到達したのは少ない。試作段階と断りながらであるが目の付けどころのよい品質と熱心に市場展開するのでユーザーは採用の方向に動いたところで中止の連絡には参ったことがあった。販売額の比較ではガソリンや潤滑油に比較して一定規模に到達しないと中止されるのだろう。その判断が正しいかどうかは歴史にお任せする。それに対してエネオスの機能性材料開発はかなり活発で既存市場にはない特徴のある材料を提供している。最終市場が伸びるかもしれないが現在は微々たる現状にも関わらずの姿勢はどこからくるのか。

エネオスの水素ステーションに乗り出すニュースは漸く来たか!と受け止めた。エネオスのGSは13,000箇所あり、クルマへの水素充填速度は従来のガソリン並みで、走行距離も850kmとあらばほぼストレスなく利用することが可能だ。

水素の大手供給社は岩谷産業と川崎重工だが、石油コンビナート内では水素供給ラインが充実していることから、余剰水素ビジネスに進出する可能性はあるだろう。つい最近では伊藤忠がフランスのエア・リキードと組み国内最大の水素プラント建設の発表もあった。エネオスは来春水素ステーション稼働予定とのこと。セルフもありとのことなので水素=爆発のイメージのある人からみたらドキドキものだが心配ご無用だ。当面はバス・トラックから浸透するはずだ。FCVトラックはこれから欧州、中国勢と競争することになり、早期の自動車メーカーでの技術蓄積が必要である。順次ミライの水素ボンベの軽量化技術やEVで培った電池技術を組み合わせて、ここでも日本勢は勝ち続ける必要がある。空気清浄化エンジン、EV, PHEV, FCVとやるべき課題は多く、かつ人的資源、金銭的投資が必要だ。研究開発にはやってみないと分からない。そこを理解するところがイノベーション国家と言えるのだろう。イノベーションは2番ではダメなのだ、理化研/富士通のスパコン富岳については別で触れるが、このようなイノベーション環境にいる我々は自信をもって参画・応援したいものだ。

衣料・新しい風

漸く春めいてきた。(一部を除いてコロナ規制が解除され)抑制されていた気分もカラダも伸びをして、さぁ巻き返しだ!と街中が活気が出てきたように思える。衣服も冬から春へと模様替えの準備開始。とはいえコロナ渦で購買力は低下、ビジネスでは在宅時間が増え、ビシッと決めたスーツを買う機会は減少した。紳士服量販店の閉店ラッシュは残念だがそれが現実だ。高級品を品揃えしているデパートの紳士服売り場は土日祭日でも閑散としている。

そんな中、おやっ!と手にしたのは、超軽量カジュアルスーツ。平織りであるが経糸・緯糸の間に空間がある。織機での張力が弱い筈はないので、????と思っていたら、なんと、水溶性樹脂の繊維が織り込んであり、織った後でお湯で溶かし出していることが分かった。

医療用の膜を製造する際にナノサイズ、サブミクロンの空孔を作るには水や溶媒に溶けない樹脂と溶解する樹脂からなるブレンド、アロイを形成させて、あとで溶媒抽出することで多孔膜を作ることが行われている。人工透析などの医療機器や電池セパレーターなどの工業分野にも利用されている。コンパクトな上水道設備に多孔質チューブを利用した設備は日本の繊維産業は得意であり、世界でも日本しかできない芸当の一つとなっている。

この発想は実は通気性おむつや合成紙にも共通している。これらの場合は抽出ではないが、フィラーを樹脂に分散させてフィルムやシートを製造し、延伸することでフィラーは延伸できないので、界面にボイド(空隙)を形成する。そこが水分透過性や印刷インクのアンカーになるのだ。

化学産業の原点に石炭化学と繊維産業がある。昭和30年代からは石炭に代わって石油化学が置き換わったものの、蓄積技術の応用範囲は前者が圧倒している。石炭化学は芳香族化学と言えるものであり、染料から出発して医薬品に到達しており、繊維産業は微細加工技術を利用しての医療、工業材料に展開している。炭素繊維や芳香族高強度繊維、合成皮革などは繊維産業のなせる技である。

中国は大量生産を得意とするが、経糸が切れると半日は織機を停止して手作業で経糸を切り替える必要があるので、切れないPET繊維を経糸に利用している。衣服にした場合は限界がある。日本では平織りや綾織りなどをしている機屋さんはいない。経編機がラグビーウエアで大活躍したことを覚えておられるでしょうか? 首筋には無線で指令を受ける装置を内蔵しながら、柔軟な動きに追随できる伸縮性のある生地が要求された。これが出来たのはデザイン設計(富山)と経編をした福井の機屋さん。

日本の繊維産業は日米貿易摩擦から収縮したものの、機能性繊維で復活した。その加工技術の広がりは化学とリンクして伸びている。旭化成、帝人、東洋紡、東レは繊維メーカーとしてよりも高機能素材メーカーのイメージが強い。三菱レイヨンは三菱ケミカルと合体した。戦後解体前は同じ会社で石炭化学も経験しているだけに強い潜在ポテンシャルはある。

【新デザイン作業スーツ】

さて、昔のことを言えば、ホワイトカラーとブルーカラーと勤労者を区別する言葉があった。衣服の色、デザインを指してのことだろうが、今はそんな区別はなく、どちらも作業着。白いシャツにネクタイ・スーツ姿はもはや絶滅危惧種。その職種でも工場の現場に入ることがある。そんな時は上着や白衣が提供されて着衣するが、ズボンはスーツのままのことが多く、現場では立ち尽くすだけの“お客さん扱い”になる。危険予防の面もあるが、それでは現場の本音に迫ることはできない。多少汚れようが洗濯でき、現場の人と生で会話ができる服が欲しいと思っていた。ワーク○ンは繁盛しておりタフな服であるのは間違いがないが、絶滅危惧種の人が着衣するには気が退ける。ポケットデザインはちょっと。。。

また、在宅では何を着ていても自由であるが、気分はビジネスモードになりにくい。在宅では家事も同時にこなす必要がある。まさにビジネスの気分と家事労働の両方に通じる“作業着的スーツ”があれば。。。。と考えていた。

そんな時、東京八重洲地下街を歩いていたら、新しいショップを見つけた。WWSと看板にある。東京駅から徒歩2分のところにオフィスが昔あり、この地下街はどこに何があるかを熟知していたので、新店舗にひかれて店員さんと話をした。

WWSとはwork wear suit。コンセプトが面白いというか上述の“ちょっと。。。”& “あれば。。。”の両方を満足する可能性があると思った。横浜にもショップがあるとのことで、後日買い求めた。若者向きのパンフだったので、どうかなぁと思いつつモノは何でもテストしないと分からないとあって買い求めた。

 

結論から言えば、これが実に気に入ったのである。在宅勤務中はジーンズから切り替え使用頻度が増えた。春めいてきたので外出もしてみたが、特に違和感はない。創業者のコンセプトは水道工事の作業衣でレストランにも行けることを考えて作ったとのこと。隠れポケットは大きいが使用しないとポケットが見えない仕組みになっており、考えてあることは理解した。

コロナ渦だからと下を向いていないで、視点を変えて光明を見出しトライする。評論家や企業役員がイノベーション・イノベーションと聲高に言っている間はイノベーションをしていない。言う暇があれば実行して、愉しくてしょうが無く、食事も忘れて没頭する。その結果がイノベーションと言われても本人は“エッ!そうなの”と思うことでしょう。WWSを始めた女性はただ者ではなさそうだ。コスモサインにも通じるものがあるとみた。

クルマの信頼性

急成長してトヨタより資産価値が高いと評価を得たテスラにリコール問題。18年初頭までに製造した、高級セダン「Model S」の12~18年モデルと高級SUV(多目的スポーツ車)「Model X」の16~18年モデルである。合計で約15万8000万台のリコールだに突き当たった。EVはクルマのボディに電池とモーターを搭載すれば出来ると考えたのではあるまいが、それに近い発想であったことはかもしれない。

リコールの原因を米運輸省高速道路交通安全局から指摘されたのは、「IVI(車載情報通信システム)機能を提供する「MCU(Media Control Unit)」内にあるeMMC対応のNANDフラッシュメモリー。タブレットで使用されている部品を利用したとある。」(日経引用)

自動車と家電とは信頼性のケタが違うよ! と教える技術者がいなかったのか、多分既存自動車メーカーに納入しているTier 1,2の部品メーカーからの供給が拒否されたので、タブレットに目を向けたのであろう。価格も安価で大量に出回っている。EVでde fact standardを獲るためには急いだ背景が想像できる。

タブレットNANDメモリーでは書換回数が3000回で限界だそうだ。タブレットでは5年程度。クルマの買い換えが2~3年では持ちそうだが、中古車価格はどうなのか?普通は車検1~2回はする。10年以上も珍しくない(筆者も過去12年乗ったことがある。それでも故障0だった)。テスラの技術者はおそらくハラハラドキドキしたであろう。指摘されたクルマと今は違い改善されているだろうが、自動車は厳しいことを経営陣は認識したであろう。初期失敗は誰でもあるので失地回復して欲しいものだ。

筆者は入社時は雑貨(灯油缶、シャンプー、化粧品ボトルなど)向けの高分子材料の開発をしており、その後クルマ向け材料を担当することになった。材料から成形メーカーに手渡す技術資料は雑貨の場合は1~5枚程度。受け取る方も物性表と加工技術資料の一部を参考にともかく試作しましょうと速い。

一方、クルマ向けとなると成形メーカーの前に自動車メーカーとの摺り合わせが極めて重要で、ここに開発のキモがある。自動車メーカーとは何が必要で、どのレベルが必要なのか、、、、、、幾重にも要求項目がリストアップされる。材料データーの信頼性とクルマ部品の信頼性データーが最も重要で、多角的な方面から試験する。

熱(極寒の土地、砂漠熱帯)、冷熱サイクル、紫外線の強弱、湿度の影響、塩害の影響などを1年以上、試験装置または大型試験チャンバーの中で評価し、統計処理をする。

材料の機械的強度特性は引張り強度・伸び、座屈、衝撃、振動疲労特性、音響特性、摩擦摩耗、耐薬品性、クルマ洗浄液などの耐性なども評価される。衝撃は隣のクルマのドアがあたった軽微なものから正面衝突した時の変形速度まで広範囲にわたり実験され、それをテストピースで評価できる装置を開発し数多くの試験を重ねる。最終的に自動車メーカーに納める資料は我々の世界では“巻物”と言っていた程である。巻物は1巻ではなくピラミッドのように幾重にも重ねられており、まるで源氏物語ぐらいの巻物を神棚に奉納する台に載せている様ほどの資料を作成したものだ。それに納得したら漸く試作することになり、実用試験となる。ここでも自動車メーカーと材料メーカー、部品メーカーの信頼性試験などが繰り返される。材料メーカーの試験棟は大型成形工場で成形、塗装、衝突試験、冷熱サイクルなど自動車メーカーと同規模のインフラで充実している。クルマの信頼性は開発現場にいただけに、そんなに簡単にクルマはできないと今でも染みついている。

ところが、同じクルマでもドイツとは発想とシステムが違う。ドイツは新材料の展開が速い。信頼性の確認の仕方が違うのだ。クルマに搭載してテストコースやアウトバーンでの走行テストで実績を積み、問題がない=採用!の流れである。結果オーライ的なところがある。エンジンルーム内の金属からエンジニアリングプラスチックスへの切り替えの先頭を切ったのはドイツ。日本ではインテークマニホールドやアクセルペダルなど重要保安部品ではドイツでの実績をみてそれを即採用するのではなく、上述の信頼性試験を経て採用に至ったものもある。見送ったものもある。欧州で実績があるから日本でもと売り込みをする部品メーカーや材料メーカーが国内自動車メーカーを説得できず往生しているのが実態だ。なにも障壁を作っている訳ではないが、故障の原因追及にはドイツ方式は時間がかかる。それと最終的なユーザーへの責任からである。ドイツは気を悪くしないで欲しい。筆者はドイツ車を3台乗り継いでいることで免罪符を頂きたい。

ただ、放射線量や加速度、耐熱性など尋常ではないレベルを自動車より圧倒的に多くの部品から構成されるロケットを失敗率限りなくゼロで打ち上げることができる技術及び品質管理ができる技術基盤のあるところが自動車における信頼性を勝ち取ると考える。