2018年 9月 の投稿一覧

映画と現実

Facebookにコスモサイン加藤社長が映画Ocean’s8で3Dプリンターを利用した華麗でド派手窃盗劇を見て面白かったとアップ。ツッコミ処満載で笑えたとも。

映画や漫画には奇想天外でも何れ実現することも多々ある。まして3Dプリンターやジルコニアに関心ある者が観劇しない理由はない。上映最終日のレイトショーに間に合った。

服役を終えた詐欺師Oceanをリーダーに、負債を抱え人気ピークを過ぎた服飾デザイナー、ハッカー、手先が器用なスリなど女性7人が宝石窃盗を企てる。狙いはNYメトロポリタン美術館で開催されるパーティでモデルが身に着ける1.5億ドルのネックレス。まずCARTIERに言葉巧みに取り入り地下金庫に保管してある宝石を見たいと侵入に成功。眼鏡枠に仕込んだスキャニング装置でスキャニングしアジトにセットしてある3Dプリンターに飛ばす仕組み。スキャンは2D。プリンターはFDM風(フィラメントはないが、ノズルから透明材料が積層されて彫像を制作している風景)、サポートもない。多分、ガラス製の彫像の頭に透明樹脂をノズルから少量流して3Dプリンター成形を扮している。

ジルコニアはFDM成形できない。光硬化樹脂とのコンパウンドでインクジェットなら可能性はあるが、その装置ではない。光硬化樹脂なしでジルコニアを溶融させるには1500℃以上が必要で冷却条件によって結晶変態が生成する。

ジルコニア製と思わせる透明彫像では光が屈折する筈だがこれがない。なるほど加藤社長の言われるツッコミ処がいくつも。

映画監督は勉強している。単なる女性による窃盗では映画にならない。そこで今から主流になるであろう3Dプリンターと組み合わせた。まず眼鏡をスキャン装置に利用することを着想した。2年ほど前にドイツの会社が眼鏡枠の中に電池を埋め込み、レンズの表面に液晶を貼って眼鏡枠のスイッチを入れるたびに近視用、遠視用など切り替えるメガネを発表。(現在日本では化学メーカーが提携)これらの情報を参考にしていると思われる。地味だけど面白い眼鏡展。話は飛躍するが記憶合金の眼鏡枠が30年ほど前、今後は記録(ドライブレコーダー的)機能搭載眼鏡がでるかも知れないなぁと映画のテンポが速いなか考えた。

そんな固いことを言わず、セキュリティ専門を手玉にとってまんまと狙い以上のブツを獲得していく痛快ドラマを楽しむ。落ちは宝石を身に着けていたモデルも分け前を要求して、ここでOcean’s8となる。保険会社の犯人捜しに対して詐欺で投獄された男への復讐もあり身代わりに仕立て、あとの8人は優雅な生活へ。

夢から現実へ

どらえもんのタケコプターが実現しそうだ。自動車が空を飛ぶ時代がよもや来るとは思わなかったが、2020年オリンピックまでに法整備がされる情報がある。ベンチャー企業では大型ドローンを自動車にも利用できる装置を試作しテスト飛行及び道路走行に成功している。イスラエル企業では時速500kmを目標に開発を進めている。

ドローンはモーターで羽を回す。さすれば飛行機も電池とモーターになる可能性が現実化してきた。エンジン内燃機関より軽量であれば切り替えられる。さしずめ小型飛行機あたりは妥当性がありそうだ。子供のころ家にグライダーが2機あった。骨組みは木材、ボディは布に防水処理を施した簡単なつくり。大人2人乗りだが、極めて軽量。この操縦席で遊んだ記憶がある。感覚ではこの軽量ボディなら今の電池とモーターなら利用できると思う。ただし耐久性・安全性からは昔の素材からは新素材への転換が必要ではある。

宅急便をドローンで運ぶ計画はアマゾンがトライ中。これに自動車が加わるとなると道路に従来の自動車、上空には大型ドローン自動車集団で太陽光が遮られるような風景はご免して欲しい。上空からの落下物に注意しながら散歩など危険極まりない。ウエアラブルセンサー付きの服装で警告音を聞きながらは勘弁してほしい。

Ocean’s8に戻るが、7人が次々に連携していく度に交わされているワードが「coincide」「一致」。この映画では利害関係が一致して悪だくみに加担するときの合言葉としてつかわれているが、悪い意味でなく、利便性と環境に配慮したモノづくり、クライアントとセールスのビジネス、大きく表現すれば国と国など落としどころを探りながら調和させる知恵が我々にはある。

この映画では8人が巨額をせしめた。だが濡手の粟長者がその後必ずしも裕福ではないように彼女らもそうなるのだろう。辻褄があう。それもcoincide。

モネ100年展 (今も魅了する創造性)

秋分の日を前にして、あれほど荒れ狂った気象も漸く「秋だ」と気が付いたようだ。7月から開催されていた近くの横浜美術館にも行列が。「モネそれからの100年」として代表作品の「睡蓮」をはじめ30点。影響をうけた画家を含め印象派作品95点を展示している。

美術に疎いが、「芸術の秋」となれば、その雰囲気にあずかろうと出かけた。絵心が全くない者が感じたことを恥をしのんで書けば

1)    モネの水、空、光への観察力とそれの表現力は凄い。水はかくあるべし的な通念を気持ち良くひっくり返して見事。対象物に潜むパワーを徹底的に観察し、一旦昇華し形に転化している。

2)    対象物が何であれ、経過する時間を表現している。

3)    ダイナミックな動きは晩年まで衰えることがない。最愛の妻や子供の先立ちの不遇に遭いながらも芸術追及の軸はぶれない。さすがである。

4)    絵画は2Dではある。だが非常に微細なピッチで表現が積層されている。あたかも究極の3Dプリンターかも?と芸術の雰囲気から工業界に飛躍してしまった。ここらが悲しい仕事の癖で恥ずかしい。

瞬間を切り取りながら、時間の経過を観るものに感じさせることは超越した人ならであろう。この創造性が新鮮で今に続く系譜として多くの画家を生んでいる。

キャンパスを金属メッシュに置き換えて色・光・影の3次元表現する画家あり、緻密な版画をBGRの三層積層することで見方によって印象が異なる工夫、及びデジタル表現する画家もいることが今回の展示にもあり、なるほどと感心した。ただ、デジタルは百人が見ても同じだが、モネのそれは人により違うのだろう。その微妙なニュアンスは観る人のキャリア、年齢によって変わるのだろう。それが100年経過しても色褪せない秘密だろうと理解した。

何せ美術のセンスがないので解釈は間違ってはいるだろうが。

モノつくりで長く魅了させるには、その時代を切り開く創造性。その根幹はモノをじっくり観察し尽くし、普通と異なる事を発見したら誤差と安易に処理しないで正確に記録し蓄積しておくことが重要である。工業界でも医学分野でも同じ。だが、効率優先とあって試験装置の自動化が進んでいる。勤務時間にサンプルを用意して機械的、熱的性質などの自動測定装置にセットしておけば、翌日の出勤時間にはデーターが出ている。統計処理も得ることができる。しかしながら問題もある。例えば自動破壊測定装置では測定済のサンプルはゴミ入れに投入され、どのデーターがどのサンプルに対応するのか分からない。普通と異なることを見つけるのは難しい。

同じ破壊強度の数値であっても、破壊クラック伝播パターン、完全に破片が飛び散ったのか、一皮残っているのかの観察は耐破壊材料・製品を開発するには重要である。

数値だけで判断し、次の実験計画を立てることでは、いずれ当たるかも知れないが、時間と費用が無駄になることと、破壊の原理原則を理解しないままでは研究者として成長が止まるケースも散見される。なにより異常が創造のヒントになる機会を逃しているかも知れない

何故、このようなことが起こるのか? 学生時代にDIYで入手できる素材・部品で手作りの実験器具を作成し原理原則を頭と体で納得した経験がないまま既成の装置に依存していたことも要因であろう。モノづくり熟練者は「この製品が破壊するときの破壊歪は、この装置のスペックで良いのか?」と基本のところから考える。ダメな場合は不格好でも自作をする。

よく知られているのは携帯電話が落ちるパターンでガラスの割れ方が違うことをよく観察して携帯向けガラスを開発した事例がある。TV放映でみると如何にもベテランメンバーがあれこれ考えながらテストをしている風景。この現場感覚が重要なのだ。

芸術は工業・医学などと異なる分野ではある。先のブログでも意味的価値の芸術、機能的価値の工業製品と仕分けをした。だが、共通しているのは徹底した観察を通じて一旦昇華させ、そして創造性ある形に転化させる。

これは楽しい作業だからこそ、モネは失明の危機と戦いながら最後まで大作を描いた。我々もそうありたいと展示会を観ながらの感想である。

(挿入図は開催案内パンフからの引用)

新聞が伝えた明治

中高校生時代にこの展示会を見ることができたなら、おそらく日本近代史を今まさに同時刻で発生しているが如く印象深くかつ理解するであろう。教科書だけでは理解できないが、僅か2時間の展示コースだが約50年の歴史が細部まで手に取るようにわかる。今年2018年は明治から150年。節目を記念して展示会が横浜日本新聞博物館にて開催されている。(930日まで)

サブタイトル「近代日本の記録と記憶」として慶応4年から明治45年までの新聞記事が展示してある。新横浜に近い鴨居には5万点に及ぶ新聞記録があるとのこと。その一部を展示している。一部とは言え見ごたえがある。

まず慶応4年。戊辰戦争が終結し明治がスタートする。

一.廣く会議を興し、万機公論に決すべし 一. 上下心を一にして盛んに経綸を行うべし。で始まる五箇条の御誓文 由利公正起案の太政官日誌。教科書では確かにみた。記憶したものだ。太政官日誌をみると幕藩体制から新時代への転換に際し、かくなる高邁な指針を提出したものだと感心する。現存する記録物のもつパワーのようなものを感じた。教科書にはない。

明治にはなったが、官軍の士族は武勲に対する功労がないなど旧時代の武士の感覚が残っているのか、あちこちで士族の反乱が発生。佐賀の乱、秋月の乱、熊本神風連の乱。乱の名前と首謀者の名前だけは憶えている程度。それを伝える新聞で全容が理解できた。そして西南戦争である。当時の従軍記者のリポートを見ると、何時に戦の音が消え、何時に西郷が自害したと、あたかも目撃したように記事が起こされている。

当時は写真がない。版画を挿入しているが、1枚どころではなく多数の版画が新聞発行までに出来上がっていることには関心する。それも上出来の仕上がり。江戸時代からの美人画で活躍した絵師の力量が分かる。鏑木清方も版画を提供している。この流れが伊東深水まで系譜があるのか。。と想像するのも楽しい。 (明治21年やまと新聞 西郷隆盛)

 

福沢諭吉の新聞は広告からの収入を重視しており、分厚いが広告が占める割合が高い。新聞を経済ツールに利用することを率先したターニングポイントだった。それまでは政党が独自の主張を発露する場として新聞を発行することが多く、政変の度に改廃がつきものだった。花王、恵比寿ビールなど今もある企業の広告。化粧品では対象が男・女の順番。男にはニキビが取れる。肌も綺麗になる。女の人向けには肌がきめ細かくなり、そして万能に効果のありと誇大広告。エッ?当時の男が化粧品?と不思議。財布を握っている男も対象に入れておかないと売れないと読んだのか色々想像できる。キャッチコピーに思わず吹き出した。コピーライターは「かわら版」出身者ではないだろうか。

毎日、読売、遅れて朝日新聞が出そろった。明治25年頃には新聞発行も軌道に乗り、やがて小説家もかかる新聞社に社員として採用され、連載小説を掲載する。夏目漱石は朝日新聞に「吾輩は猫である」「それから」を連載。掲載してある新聞を展示。紙や鉛が不足していたのか、1枚にギッシリ詰めているので、文字は小さい。それでも当時の読者は毎日食い入るように見ていたのだろうと想像するだけで面白い。識字率は80%以上だからビジネスになった。

当方の勘違いかもしれないが、読売新聞のタイトル「新」にわざわざ志のルビを打ってあるには、意味があるのだろうと思った。今のマスコミに志があるのかと問いかけているようにも思ったからである。

今月、震度7の直下型北海道胆振東部地震が発生した。明治時代も大規模地震・火山噴火は一大事。濃尾尾張地震(約7000人以上犠牲の直下型)、磐梯山噴火(477人犠牲)、北海道東沖地震など。詳細報告と同時に新聞は大きな紙面を割いて義援金募集をかけている。今に通じる互助精神。150年前いやそれ以前から継続しているからこそできるのであろう。

冒頭の経綸・公論であろうか意外にも女性が演説したとの記事がある。京都では8歳の女子の主張に聴取は圧倒されたとの記事があるのを見つけた。歴史教科書では取り上げない事案が事実としてあったのだ。ifは歴史ではないが、もしあの時を契機に女性の地位が向上していれば、その後の男社会の理屈・メンツがもたらした不幸な事態は避けられたのではないかとも思い、それだからこそ、この歴史を将来に活かすにはどうしたら良いのかと、小さな囲み記事は訴えているように思えた。

日本新聞博物館 みなとみらい線 日本大通り駅(東急東横線・元町中華街行)

この度の台風21号の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を祈っております。

居座り猛暑と強力台風の9月。泡について書こうとしている丁度今、台風21号が接近。私事ですが京都から停電箇所もあるとライン。テーマの進路を若干変更して台風被害心配繋がりで電力供給について書き始める。

熱中症対策としてエアコンが利用キャンペーンができることや、満員の電車内も快適な温度で昔聞いた「不快指数」を覚えている人がすくなくなった。電力安定供給は有難い。

最近驚いたことは九州電力管内では昼間の電力供給のうち太陽光発電が80%を占めているとの情報。8%の間違いではないかと調べた。火力発電が主力で太陽光発電はまだまだサブだろうと思っていた。

どうやらその記事は記者のつまみ食い+勘違い。

1日の発電量パターンを見ると日中の発電量の5月の資料でも66%を占めているので、夏場80%なっても不思議ではないが全体で80%ではない。

https://mega-hatsu.com/17704/

この図から火力発電などベースロード発電の調整が大変面倒なことになっているのは理解が必要だろう。

トータルでは全国平均では5%前後。 

九電管内4か所の原電が復活した今、昼間の太陽光電力は余剰。余剰電力は夜間水力発電用の揚水に適用しているが、それも満杯状態でクッションがない。ここに至り、当初の契約に基づき太陽光発電を制限する措置に出た。天候に左右される太陽光発電、安定供給するためには火力発電、原電などベースロード電源が必要。太陽光発電の割合を高くすると周波数も乱れる。よほど大型の固体電池、キャパシタやフライホイールで蓄電することができないならば制限は止むをえない措置だろう。

将来は水素として貯蔵することが普及したら面白い。既に宮城県ではLPGのように水素ボンベでの供給をトライしているようだ。現在は太陽光パネル設置を増強してきた業者が泡を喰った。

不謹慎な駄じゃれはよして真面目な泡の話に進路変更。 

ところで電車で気になるのは何故か咳をする人がやや例年より多いようだ。夏風邪が流行っているのだろうか。スマホしながらの咳は手を口に当てる暇がないのだろう。迷惑千万。勤務先や帰宅すると石鹸で手を洗う。石鹸には形から区別すると固形、液体、ムース泡とある。ボディ石鹸としては泡状がなんとなく肌に優しいとのフィーリングがある。泡モコモコを店頭でプレゼンしている光景をよくみる。

都度、あんなに泡を立てる必要があるのか?洗浄効果と泡の関係はどうなんだと思っていた。初期に泡があっても肌の上で泡が消滅するではないか、単なる初めの手触りだけではないのかと素人考え。でも泡石鹸のボトルラベルには「ゴシゴシ擦らないで下さい」の注意書き。わざわざこれを注意書きするには、それ相当の理由があるはずだとも。

丁度そんなとき手にしたFragrance Journal 8月号に日下氏以下3名の研究を目にした。この文献によると泡のきめ細かさと洗浄力についての実験が報告されている。試料はミリスチン酸およびパルミチン酸の混合液にアルカリを加え界面活性剤を合成し、水溶液の攪拌条件を変えて各サイズの泡を作る。次にモデル皮脂として着色したオイルと接触させ、オイルが泡の界面を伝って浸透する様を観察している。

その結果、文献の研究者は

油剤は気泡の間の液相のネットワークに沿って,自発的に泡沫内部へと進んでいく様子が観察される.水相である泡沫の中を油が拡張していくこの過程は,乳化の一種とも捉えることができるが,外力を加えなくても自発的に進行する点は非常に興味深い。」と記載している。

 

 

 

 

 

また、洗浄後の皮膚に石鹸がどの程度残留するかの評価をすると、きめ細かい泡の方が残存量が極めて少ないことも述べている。

ここでようやくボトルラベルに記載している物理的な意味が分かった。

医療関係者にとって手洗いは重要であり、事務の人も薬用液体石鹸で特に手の甲と指の間を5分以上念入りに洗浄し、流水で同じ時間洗い流すとのマニュアルを遵守している。

自宅の洗面台に洗浄ムース石鹸があるが、さっさと洗っていた。だが、文献に従えば手に取り泡を壊さないように漫勉に塗布し、時間をおいた後、流水で洗い流す。いつまで継続できるか自信はないが、やってみよう。 ちなみに家族は帰宅すると手と足も洗う。子供の時からの習慣になっている。食器洗いは小生担当。これにも活かさねば。