モネ100年展 (今も魅了する創造性)

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秋分の日を前にして、あれほど荒れ狂った気象も漸く「秋だ」と気が付いたようだ。7月から開催されていた近くの横浜美術館にも行列が。「モネそれからの100年」として代表作品の「睡蓮」をはじめ30点。影響をうけた画家を含め印象派作品95点を展示している。

美術に疎いが、「芸術の秋」となれば、その雰囲気にあずかろうと出かけた。絵心が全くない者が感じたことを恥をしのんで書けば

1)    モネの水、空、光への観察力とそれの表現力は凄い。水はかくあるべし的な通念を気持ち良くひっくり返して見事。対象物に潜むパワーを徹底的に観察し、一旦昇華し形に転化している。

2)    対象物が何であれ、経過する時間を表現している。

3)    ダイナミックな動きは晩年まで衰えることがない。最愛の妻や子供の先立ちの不遇に遭いながらも芸術追及の軸はぶれない。さすがである。

4)    絵画は2Dではある。だが非常に微細なピッチで表現が積層されている。あたかも究極の3Dプリンターかも?と芸術の雰囲気から工業界に飛躍してしまった。ここらが悲しい仕事の癖で恥ずかしい。

瞬間を切り取りながら、時間の経過を観るものに感じさせることは超越した人ならであろう。この創造性が新鮮で今に続く系譜として多くの画家を生んでいる。

キャンパスを金属メッシュに置き換えて色・光・影の3次元表現する画家あり、緻密な版画をBGRの三層積層することで見方によって印象が異なる工夫、及びデジタル表現する画家もいることが今回の展示にもあり、なるほどと感心した。ただ、デジタルは百人が見ても同じだが、モネのそれは人により違うのだろう。その微妙なニュアンスは観る人のキャリア、年齢によって変わるのだろう。それが100年経過しても色褪せない秘密だろうと理解した。

何せ美術のセンスがないので解釈は間違ってはいるだろうが。

モノつくりで長く魅了させるには、その時代を切り開く創造性。その根幹はモノをじっくり観察し尽くし、普通と異なる事を発見したら誤差と安易に処理しないで正確に記録し蓄積しておくことが重要である。工業界でも医学分野でも同じ。だが、効率優先とあって試験装置の自動化が進んでいる。勤務時間にサンプルを用意して機械的、熱的性質などの自動測定装置にセットしておけば、翌日の出勤時間にはデーターが出ている。統計処理も得ることができる。しかしながら問題もある。例えば自動破壊測定装置では測定済のサンプルはゴミ入れに投入され、どのデーターがどのサンプルに対応するのか分からない。普通と異なることを見つけるのは難しい。

同じ破壊強度の数値であっても、破壊クラック伝播パターン、完全に破片が飛び散ったのか、一皮残っているのかの観察は耐破壊材料・製品を開発するには重要である。

数値だけで判断し、次の実験計画を立てることでは、いずれ当たるかも知れないが、時間と費用が無駄になることと、破壊の原理原則を理解しないままでは研究者として成長が止まるケースも散見される。なにより異常が創造のヒントになる機会を逃しているかも知れない

何故、このようなことが起こるのか? 学生時代にDIYで入手できる素材・部品で手作りの実験器具を作成し原理原則を頭と体で納得した経験がないまま既成の装置に依存していたことも要因であろう。モノづくり熟練者は「この製品が破壊するときの破壊歪は、この装置のスペックで良いのか?」と基本のところから考える。ダメな場合は不格好でも自作をする。

よく知られているのは携帯電話が落ちるパターンでガラスの割れ方が違うことをよく観察して携帯向けガラスを開発した事例がある。TV放映でみると如何にもベテランメンバーがあれこれ考えながらテストをしている風景。この現場感覚が重要なのだ。

芸術は工業・医学などと異なる分野ではある。先のブログでも意味的価値の芸術、機能的価値の工業製品と仕分けをした。だが、共通しているのは徹底した観察を通じて一旦昇華させ、そして創造性ある形に転化させる。

これは楽しい作業だからこそ、モネは失明の危機と戦いながら最後まで大作を描いた。我々もそうありたいと展示会を観ながらの感想である。

(挿入図は開催案内パンフからの引用)

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