意味的価値

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経営学を学んでいる友人が米国ナイキを訪問した際に「目標 売り上げ2倍、環境負荷1/2。そしてsustainableなビジネス、社会を作る」とあったと知らせてきた。なるほど目標が曖昧で倫理綱領さえない会社がある日本よりは良いだろうと思いつつ、この目標は誰に向かってなのか?CEO、株主、投資家向けには理解するが、Company(一緒にパンを食べる仲間の意味)の社員の姿が見えてこない。

今、池田勇人が存命ならば「環境負荷1/2、継続できるビジネス、社員ともども所得倍増をし、それによる社会貢献をしよう」というであろう。

友人の解釈はこの目標を設定することが「もの作り」だけではなく意味的価値(一橋大学の延岡教授の言葉)があるとのこと。浅学の小職は意味的価値が正直分からなかった。何だか若者の「私的には・・」をも想起させてついていけない。理解不能の小生に友人から対極に機能的価値があるとヒントをもらって文献を読んだ。幾つもの機能的価値(機能的価値は評価法・測定法でカタログに明示できる)のトータルが意味的価値である説。一方で、意味的価値はユーザーの感性によるとの説。延岡教授はiPhoneは機能はその後に開発された他社品より、持っていることが愉しい。それが意味的価値だと例示されている。

この説は約8年前に発表されたが、現状はどうかと小生の経験で言えば、次世代材料や製品を考案・企画・試作・市場評価のどの工程でもユーザー満足度をまず満した上で、エッ!?「これって有ったらいいね機能」をプラスしておくことはどの設計者もデザイナーも意識している。単に製造工程の短縮で生産性を高めるだけの「もの作り」は海外勢との競争に晒されて卒業しているのが実情ではなかろうか。 

iPhoneは確かに革新的であった。ジョブズを応援したい気持ちも後押ししたのではなかろうか。機械言語をマスターしなくても、誰でもパソコンができるマックに助けられた人は多い。またトラックボール(マウスのような機能)も可愛かった。フォントのオーサカも人気があった。ウインドウズに崖っぷちまで追い込まれながらのiPod,iPad,iPhone 出現に判官びいきもあり応援した。単なる持って良かったではなく、歴史・経過をユーザーは見ている。ジョブズのプレゼンテーションは従来のやり方を変えた。これも新時代を象徴するようで、その時代を共有するにはデバイスが必須だと思わせた。

極端であるが、洋菓子の攻勢に対して和菓子も健闘している。和菓子を買う理由の一つが接待する相手に「いわれのある」茶菓子を用意することで、接遇のレベルを分かって欲しいとの思いがある。出された「いわれのある」菓子を知らずに食べようものなら恥をかくことがある。いわれのある=隠れた意味的価値なのだろう。創業100年程度では選択肢に入らないこともあるようだ。特に京都では要注意。

燃費不正は日産に始まり、スバル、マツダ、スズキ、ヤマハ と連鎖。測定法云々理由はあるようだが、国交省からのヒヤリングがあって初めて報告するとは「もの作り」としては情けないが、意味的価値では非常なダメージである。意味的価値の付加は困難でも失うのは簡単だ。これを「他山の石」と肝に銘ずるべきなのであろう。

機能的価値より意味的価値が圧倒的に突出しているのが芸術。先週金曜日、新宿柿傳にて開催の高橋奈己展「白い陰影」を見に行った。美しい襞が静謐ながら躍動的であり、かつ上品な色気がある素晴らしい白磁作品。高橋奈己さんは幾多の受賞を受けている理由が分かる。花器としては使用後の洗浄し難い口径なので機能的価値としては小さい。ところが、白磁のお茶碗で頂いた抹茶には、色彩コントラスト、適度な重量感、唇感触などを感じ思わず背筋が伸びた。

磁器の原料のカオリン(長石)はプラスチックス複合材料として利用されている。ウム。同じカオリンとして発掘されながら、最終的な製品価格はとんでもない差がある。これが意味的価値か・・・と納得して帰路についた。

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