剛と柔

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入社して配属された研究室には115人がいた。5つの研究室でひとつの樹脂関係の研究所を構成していた。海外との交流もあり、文書作成にもそれなりの格調が求められていた。英語が嫌いで文系には向いていないので技術を選択したはずが、それでは通用しない。分かっている。だが、先輩が室長に提出した書類を窓を開けて外に放り投げられる様を目の前にすると指が硬直して動かない。 

 具合が悪いことに外国の技術者と情報交換する機会が来た。四苦八苦して作成した資料を上司に加筆修正して頂き、これで用意万端と会議に臨んだ。しかし、先方は書類のある一点を見つめている。英単語が理解できないとみた上司は厚さ15センチの古色蒼然たるウエブスター英英辞書を開きながら、「ほら!これですよ」と指し示した。格調のある単語には間違いがない。本当に知らなかったようだ。その時は上司の知識に驚いたものだが、あとで考えると日本人だって古文書を急に理解しろと言われてもお手上げで解説が必要。通じてなんぼのモノと思ったが、上司には新人だけに逆らえなかった。 言えば当方の稚拙な文章を説教されかねなかった。

英国人が感心するとは凄いですね~と。 持ち上げたのが災いしたのは、その冬にスキーに出かけたときに事件が起こった。T大スキー部出身の上司はチャラチャラした流行のストックは使わず、伝統のトンキン竹製にこだわる。かなり使い古している。環を止めている皮が切れかかっている。楽して頂上まで行けるゴンドラやリフトは使わない。ひたすらハの字スケーティングで山やゲレンデを登る。そして滑走。もう読者は想像できるとおもいますが、滑走中にストック先端の環が雪に取られてしまった。麓付近まで降りてきてから探してくるようにと指示。山が暮れるのは早い。雪に埋まっていてどこかも定かでない。またスケーティングで登り始めた。この無茶ぶり。今ならパワハラで訴えられるところである。今にして思うと世の中や会社のなかにも無茶・苦茶・理不尽は山ほどあるとの教訓だったのかも知れない。千本ノックなければ長島はミスター長島にはなりえなかった。

 時は20年経過し、プラスチックスの成分が川のオスの魚をメス化するとの小説がカナダの作家から発表された。社会にとって衝撃的な事案であった。関係する諸外国企業も憂い、協調して真実を追究しようと研究組織を立ち上げた。錚々たるメンバーが会議や夜の寿司バーで話し合う。医学用語が飛び交う場で、またまた小生の頭は???マークで埋め尽くされた。だが、面白いことに英文そのものは中学英語程度で会話している。それでいて皆さん上品。無理して格調高い単語は使用していない。相手の話をじっと聞き、間髪入れずに意見を述べる。当時の社長は医者の家系であるが、その雰囲気だけで言葉は平易であっても格調に化学反応で変化するものだと気がついた。 側に控えていた小生に医学用語をそっと解説してもらうことで、共通の場に居ることができた。 新人のころは「剛」をたたき込まれ20年後に「柔」を学ぶことができた。 「柔は剛を制す。ただし剛があっての柔」。

その事案から随分と経過した今。あの当時交流した会社・人脈とは全く異なる案件でも、「あの時の」の一言で例え初めてあった人も一瞬にして邂逅。そして本音で話しができた。これは有りがたいことだ。先日来日の客人。銀座もやや外れの串揚げ屋でざっくばらんなランチ。立て串だけでなく横串でも互いに協力しましょうと約束して別れた。

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