無意識の固定観念

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親子四人が電車に乗り込んできた。1歳 4歳 7歳に母親。降りるまで1時間ほどかかるから今のうちに宿題をやったらと母親は長女に話しかけ、素直にカバンからノートを取り出して始めた。素直な子だなとトイ面の座席から眺めていた。そこから意外な展開に。宿題の内容は母親の車両の1/3の範囲の人には聞き取れるような声でわかった。形の違う長方形が2つある。これを本棚に収めるにはどうすれば良いか? 方眼紙に答えを描くのだができない。

母親は“ここがタテで、ここがヨコで、これが奥行き” 。“これをこうすると これがタテで。。。。”  長女はますます混乱して、宿題いやだと言い始めた。もう読者はお分かりになったと思うが、長女は長方形のそれぞれに固有の名前がついており、方向を変えても名前は変わらないと信じている。ああこの子。本当は頭がいいと思った。親はなぜ子供が理解しないのか、それがわからない。

でもこれを笑えないのは大人も同じ。1970年当時にFortranの初心者向けプログラミングとしてBASICがあった。例えばA=A+1 がわからずに、縁がなかったと諦める人が出たのだ。自分はプログラミングできなくても世間を渡れると妙な理屈をつけて。今、小学校でプログラミングが必須科目になっている。妙な区切りをつけた一人・筆者には、その事情が理解できない。量子コンピューターのプログラミングには携わることは1億分の数人だろう。原理を理解していれば十分だと思うが如何か。

話は転じて、大企業で定年を迎え、再就職やコンサルをする人が増えている。年金支給開始までの稼ぎはもちろん、その年金もあてにならないとなると少なくとも70歳まで継続を希望することになる。だが、大企業同士の合併でもみ○ほ銀行のように時間がものすごく長く、被害を出しながら継続している典型的事例がある。一方で大企業から中小企業へのシフトとなると、長年ついた垢(常識と勝手に解釈している)を本人は無意識に主張しているシーンをよく見聞きする。シフトした会社も高齢化が進んでおり、同じような年齢(経験の差)同士で理解し合うのは困難だろうと思う。

脳細胞は毎日寝るたびに更新されているはずだが、この垢だけは残るのか、残そうと必死にバックアップしているのか脳科学専門家に聞いてみたい。バックアップは男の方が女性より容量が大きいのか、こだわりが強いようだ。女性は過去より明日に重点をおくのに対して、男はそうではない。町内会長でもいいから名誉が欲しい生き物。

体の健康のためならウオーキングや各種エクササイズをみなさんは実践されておられる。だが、精神的な更新はウオーキングだけでは不足。比叡山延暦寺の千日回峰行なら別だが働きながらでは無理。とすると座る・座る・座る・只管打坐が必要な時代になってきたのかなと思うこの頃。

そういえば高校時代に永平寺でのミニ修行の行事参加があった。スティーブ・ジョブズなど新世界を切り開くリーダーは禅を重視している。永平寺において3時半起床、掃除、座禅などは記憶に残っているが、2日や3日では禅が分かるはずもない。しかし、今にして思うと人生の先で必要となるであろう“固定観念という垢を落とす”ことの重要さを教育の場で教えられたのは確かに貴重だ。今こそこの類を含む教育の国債を発行してはどうだろう、恐らく何十倍ものリターンが期待できるだろう。その場合でも単なるプログラミングができる、英語が話せるようなものではないことは勿論だが。

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