デジタル医療vs.ヒューマン医療介護

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デジタル医療と人間味溢れる介護の両方をこの一週間に見聞きした。

まず、ビックサイトではMedtec(医療機器の製造開発展示会)が開催されデジタル医療最前線を知ることができた。このブログでは以前に取り上げた事がある。ただ、一昨年の活性度に比較すると昨年、今年のそれはコロナが研究開発にも影響しているのだろうやや低調だった。

以前より進んだと思われる例を紹介する。看護師の激務を緩和することを目的として各種センサーの発表は進化していた。例えばベッド(敷き布団)の下にピエゾセンサーをおいて、睡眠時の心拍、呼吸、自律神経活動指標(λ)、寝返りなどの体動、離床・在床の回数や時間をモニタリング。ナースコールと連携して必要のあるときに対応するシステムを提案する企業があった。この応用は病院だけでなく、クルマ運転モニター、在宅医療にも利用できる。冗談だが、会議の椅子の下の忍ばせておけば、上の空のメンバーが分かる。(笑)

上記のセンサーはあくまでもセンサーでありセンサーがアクションを執るわけではない。

対極にあるのは巧みなコミュニケーションにより、介護される人の心理を読み取り、行動を誘導することにある。 玉村氏(後述)は「人間味溢れる介護でアルツハイマーの母親が満足して旅立った」ことをラジオ放送。 今回そのコピーを入手した。ブログにするには長いので一部を割愛し紹介する。玉村咏(京都在住 染色家 艶やか・はんなりを基調に独特のグラデーションは高く評価されており、和服、超一流ホテルのタペストリーなど作品は多い。高校の同窓会で顔を合わせたのが彼を知ったのが最初。いつも華やかな女性に囲まれている、その人にこのような逸話があるとは知らなかった。

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「介護は母えの感謝ありて」 玉村咏 アトリエ攸 京都西陣

私の母は平成24年9月 88歳で亡くなりました。24歳で未亡人となって65年、よくぞ独りで姉と私を育ててくれたと改めて思っています。感謝ということを、私に教えてくれた母への御礼を込めて お話したいと思います。 母は平成11年12月8日の私の誕生日にくも膜下出血で倒れました。今、私が京都にて43年も染色家として好きな仕事をできるのは、母が産んでくれたお陰だと。自分の力でこの世に生まれてくる事ができなかったくせに恰も自らの力のように感じていた自分を恥じるようになっていきました。生まれて初めて初めて母に感謝の気持ちを抱いた時でした。恥ずかしい事ですが、それまでは母は何でも言うことを聞いてくれる女中のように思っていたのです。母への感謝の気持ちを抱いてからは、その二年後から始まるシモの世話も全く苦にならず、愛しい人の為なら何でもしてあげられると自然に思えるようになりました。このような気持ちを抱かせてくれたのも、母の病気のお陰です。もし、母が倒れなかったら 人生で最も大切な事を、私は一生気がつかなかったかも知れません。幸い手術は成功したのですが二、三年後にはアルツハイマーを発症するかも知れませんと術後先生から言われた。丁度二年後 症状が現れました。ある日の夕食後1時間経った時、何気なく聞きました「今日のお肉は美味しかったなぁ」「えー?そんなの食べたぁ?」 いつか来ると解っていたとはいえ初めての体験です。

アルツハイマーは痴呆とは違い、新しい記憶が蓄積されなくなる病気。果たしてどの位の時間で記憶がなくなるのか観察することにしました。

朝食後5分経ってから「味噌汁の具は何だった?」母の答えは正解。昼食後は5分30秒後に。これも正解。毎食後に30秒刻みで延ばし質問。その結果記憶は7~10分の間に消去されることが解りました。5分以内に話しかければ母は正常なのです。一年後、失禁がはじまりました。オムツをさせることは避けよう。ではどうする? 「おしっこないか?」「無い」。無理やりトイレにつれて行こうとすれば眉間に皺が寄ります。自然にトイレに向かわせるには、、、取り敢えず立ち上がらせる。「今日はスキヤキにしようか。冷蔵庫に肉があるか見て」の言葉に、立ち上がり「ウン、あった」。「明日、診察だから体重を計ろう」と嘘ですが言い(トイレ近くにある体重計に向かい)、、、便座に座って用を済ます工夫をしました。その間、女学校の仲良しは誰? 昔いった温泉は? オヤジの気風は良かったなぁ~など何でも良いので母の気が紛れるなら。 お風呂も面倒くさくて入りたがりません。ではどうする?「シャワーでいいか? お湯張ろうか?」「シャワーでいいわ」じゃ行こう。浴槽には既に湯が張ってあります。湯船に手を入れて栓を抜く格好しながら「浸からないのなら、お湯をぬくよ」 母は言います「勿体ない」「そんなら浸かるか?」「ウン」 もうこっちの手の内です。 この方法はいろんな事に応用できました。「みかん食べる?」「今いらんわ」この聞き方では拒否されます。「イチゴがいい?梨がいい?」母は「梨たべようかな」この二者択一法はあらゆる面で応用が利きます。(略)

母の介護を通して色々の勉強をさせて貰いましたが 大事なことは 出来るだけ話しかけ、話をさせること、なるべく独りにしないで連れ回すこと、沢山の人の中で刺激を与えることなど。でも一番は笑わせること。母のアルツハイマーは11年間進行せず、寧ろ回復し、亡くなるその日にも笑っていましたよ。 生きていく中で一番大切な、感謝する心を教えてくれた母の病気に本当に「ありがとう」

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如何でしたでしょうか。AIだIOT、DX・・・デジタルは今後も進展はするだろう。だが、ソフトやマシンは相手の立場になって考えることや、まして感謝することはない。人間はそれらを遙かに超越したところで関係を構成していることを示してくれたのが玉村咏さんの介護を通じてのメッセージではないだろうか。

東京・表参道での個展に一緒に見に行った人は、玉村さんが新しい着物を求めにきた若い女性の心理を読んで最適なお品を薦める様子をみて感心しきりだった。ビジネスの種類は異なれど相通ずるものがあると見抜いたのであろう。この人も感性があるからだと嬉しくなった。

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