多様性の強さ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

新横浜は関西から新幹線でアクセスが便利であることもあり関西に本社がある企業の支店が多く、整然としたビル群が存在する。日産スタジアムとアリーナがある街でもある。

新横浜で仕事おわりにチョット行きますか?と言われたものの、新横浜といえばラーメン博物館しか知識がなく、先方にお店選びを委ねた。華金もあり、かろうじて入った店に圧倒された。タバコの煙で視界不良、大声で叫ばないと同じテーブルのトイメンの人にさえ通じない。話す相手の言葉が聞き取れないので、適当に相槌を打つかアルコールを重ねることしかやることがない。まるで昭和の時代の再現ドラマかと思うほど。驚くべきリーズナブル価格も昭和的。

昭和と違うところの一つはメニュー注文をスマホですること。100dB相当の騒音では致し方ない。もう一つは赤ら顔がほとんどいないことである。そこが昭和とは違うと感じた。日本人の47%はアルコール由来のアルデヒドを分解する酵素を持っていない。下手に飲酒すればDNAがアルデヒドにより傷がつきDNAを正しく再生できない。ノンアルの進化とコンプアイアンスが浸透していることもあり適度な社会空間を作っているとも言える。

欧州系民族はアルデヒド分解酵素が少ない割合は非常に少ないのに比較すれば日本のそれは不思議。一説によれば縄文人系は分解酵素を有しているが、弥生人には少ないと言われている。弥生時代の米作と渡来人による人口増加もあり縄文人の割合が20%程度になり、居住も東北がメインになったとの説がある。米作地域としていち早く発達した濃尾平野、近畿三重、北陸の一部を中心とする地域より離れた地域、特に東北出身者がアルコールに滅法強いのはそのせいかも知れない。アルデヒド分解酵素を有する割合53%にはこの説では満足していないが、長い歴史の中で交配が進んだのであろうと勝手な推察。

ここから、さらに勝手な説を唱える。日本はなぜ略50/50なのか。それは存亡の危機に遭遇した場合、単一組成では全滅する危険性があるからではないか? というもの。

蟻や蜂の集団において働き者と何もしない者も同居した集合体を形成している。何もしないで体を舐め回して暮らしている。働き者は子孫を残すための生殖も許されることなく、ただひたすら女王様のために働き尽くす。働かない者に対して愚痴を発しているかは知らないが、健気な働き者は過労死が待っている。その時、働かない者の中から変心?して働き者になることで集団全体の維持ができる仕組み。働かない者の割合は20〜30%。時々外に出て道に迷って思わぬ収穫を見つけることもあり、組織としてはバカにできない存在とも言われている。

なんだか人間社会に似ていると思いませんか?働き者グループに属しているものの成果を上げられない人、働かない者グループに属して楽しんでいるが、いざ国難となってもピンチヒッターとして頭角を表す人材がいない場合の集団の弱体は目に見えている。

今の巨人ではないが、大昔は各球団の4番バッターを移籍させてオーダーを組んだ。四番の主力を抜かれた球団にはそれを好機として代わりを務める選手が出現した。アリの世界と同じ。一方、巨人の方はどうかと言えば、必ずしも圧倒していたわけではない。4番バッター経験者に送りバンドのサインは出しにくい。また以前の球団では4番だったのがなぜ6番を打たないといけないのか?と妬みが生ずると実力は消滅していく。試合運びがぎこちないのだ。

同様に毎年同じ球団が優勝するのも組織としては弱い。資金力にモノを言わせて勝つよりも、ストーリーに酔いしれるのがファン。新しいビジネスは思わぬ人材から芽生えると信ずることが重要かも。とかくムヅカシイがイェスマンだけの集団にならないことが会社も政治の世界も同じことかと思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。