今は海外企業の人が日本にて会議をする際に、日本スタイルに準じて名刺交換から入る。筆者が若い頃は、海外出張に行くと日本式の名刺交換はなかった。
この違いはどこから来るのか? 相手は当方の実力を会議や発表内容により判断して、関係を深くすべきかどうかを決めている。お眼鏡にかなえば名刺交換となる。こちらも同様。名刺交換は会議の後だった。
会社での肩書きDirector や Dr. は極端に言えば信用していない。当方の名刺は国内では課長であっても、海外に行くときには最低Director に格上げにしておくことがあった。先方から見ればDirectorが合意したのなら約束が実行されると解釈する。ところが、国に持ち帰り返事しますと言わざるを得ないことに遭遇すると先方から「決定者は誰だ!」とイライラさせる。
つい最近、どこかの首長が学歴詐称問題を蒸し返されている。上記の海外の常識から言えば学歴より実力で判断するので、首長としての大いなる実績を強調して、何を騒いでるの? 海外では実力・実績が第一だから文句ありますか? と言えば収まるはずなんだが。
マスコミが逆に学歴を意図的に高等小学校卒として持て囃した首相がいた。田中角栄である。仕事バリバリ実行、東大卒の役人を心酔させる手腕に今太公と称した。コンピューター付きブルトーザーの別名もあった。仕事ができ国民のために獅子奮迅活躍すれば問題がない。その前に池田首相がいた。貧乏人は麦を食え発言は炎上したが、公約の所得倍増はお釣りが来るくらい成功した。
選挙公報に嘘を記載したから選挙民はそれを信じて投票した人はいるだろう。だが、選挙公約を実行しない方が大嘘つきと追求すればよろしいが何故か日本人は甘い。 公約の実行は所詮できないと見抜いて諦めている人が圧倒的に多いので、学歴ぐらいしか広報に載せる価値なのかもしれないが。
日本人との面談では卒業大学を聞くのも話題の一つと来日前に言われたドイツ大手化学会社の人から筆者に海外留学先大学はどこですか?と聞かれたことがあった。いや日本を一歩も出ていないと答えると先方は妙な顔をしていたことを思い出した。今思うと英語を褒めたのではなく、ひどい訛り英語にどこの地域なのかと確認したかったのだろう。(笑)それにしても、日本の会社は人の実力を見抜くことができず、大学で選別しているのでは、某首長を非難する資格はない。その前に世界にから取り残される。
マニフェストの言葉は一時流行った。元三重県知事の北川さんが提唱して、各政党は選挙となるとマニフェストを発表した。美辞麗句、庶民派にウケが良いような「約束」。 パーティバックマージン問題よりマニフェストを実行しない方が大きな問題だが、大きくなればなるほど縁がないとして無視されがち。
民間の方が約束と実行は即会社の命運を左右するだけ厳しく問われる。トヨタはEVもいいが全てのユーザーが満足するクルマを提供すると約束して実行。EV狂乱の国においてハイブリッドの販売が急増と見通しが評価された。
エネルギーの一つとして水素があるとして、川崎重工は水素エンジン搭載バイクと四輪車でラリー完走。着々と実績を上げている。次世代ロボットも然り。実力がなければ成立しない。その実力の中に学歴(学問をした歴史)を組み込むことは当然ある。だが、〜27歳まで(日本では特に)教授のお手伝い的な学習で得た資格は通用する場面は少ないのだ。
実力は本人単独もあれば、社員、協力企業、知人なども含めたグループが組み合わせた形が実現可能たらしめる本物の実力。その意味で「嘘はこの関係を崩す」。そこがポイントなのだとつくづく思う。