能登地震は余震とはいえど震度5が続いている。被害者の数も増加。悲惨だ。その中で72時間を超え120時間後に救出された人のニュースは一筋の光明だった。種々のラッキーが重なったとしても生きる意思の強さを感じた。
災害の実態が明るみになってきた。報道による津波の高さは低いと感じた人が多くいた。だが、判明したのは津波観測器(海面との距離を測定するはずが)土地そのものが押し上げられて海面ではなく、海から現れた土地との距離をずーっと測定していたことがわかった。観測値より実際は高い津波(4m)が襲ってきたことが判明した。実に短時間に能登半島から新潟に至る海岸土地が押し上げられた。このような事例を初めて見た。
政府は補正予算の中から暫定プッシュ費用を出し、その後に総額1兆円規模の復興予算を用意しているとのこと。さあこれから衣(医)・食・住・立て直しへの始動だ。
これから元通りの復興スタイルにするのか、それとも地方自治体全体を耐震地域とするのか首長の判断と、それに協力する市民の団結力が試される。見本がある。石川県のとなり福井県だ。今回の能登地震では富山・新潟と同じ震度を記録した。しかし大きく被害が報じられていない。実は昭和23年に福井市直下型地震が発災。震度7で3700人超の方がお亡くなりになった。7階建てのデパートが倒壊する象徴的な地震だったと後で教科書にて見知った。震度7の設定はこの福井地震からだという。
当時の首長はトンネル土木工事や建設で有名な熊谷組の熊谷市長。当時はGHQと日本政府との調整が長引く中、独自の都市デザインを策定して即座に行動に移した。徳川親藩城下町特有の道路などをあらためて、碁盤の目構造とし道路幅を広く取り、かつ下水道もいち早く整備に取り組んだ。 幸か不幸か福井は空襲で焼け野原になっており再建するには言葉を選ぶ必要があるが邪魔になるものが少なかった。福井は熊谷組、飛島建設、前田道路発祥の地だけにインフラ復興ツールは揃ってはいた。
福井平野は九頭竜川をメインとする沖積地帯であり米作に好適な土地ではあるが、堅固な地盤ではない。新都市デザインは被災の拡大を防止するには効果はある。当然のことながら従来の所有土地から手狭になる家も出たが、多くは協力したと伝え聞いている。 皮肉なことに道路幅が広がると人の密集度は低くなる。 商店街は密集している方が繁盛するのは理にかなっているところがある。多少、その意味では平凡な街になったことは否めない(福井の人に失礼なので「端正な街」に言い換える)。お隣の金沢が城下町を残しているのとは対照的。
さて、現在の都市デザインとなると、今回の震災を分析して種々の提案がなされると思う。素人が口を出す領域ではないが、ソリューションを言わないのは知らないか、責任を取りたくない、ええカッコしいだけでもあるので、あくまでも思いつきの前提付きですが、
1)耐震建築だが懐かしい家屋で、都会が失ってしまった暖かさに触れる街が好ましい。
2)屋根には太陽光パネルは設置しない。理由は1)もあるが、震災の最初の行動で太陽光発電ブレーカーを落とす作業ができないのが実態。勿論屋根は軽量に限る。どこかの知事のような短絡発想はしないでいただきたい。不燃材料を多く取り入れた防災建築モデル都市を提唱する。
3)漁獲体験観光、その後での料理教室体験による集客。
4)3Dプリンター建築による2日〜3日で家屋が提供される集落を世界にPRするには絶好の機会。
4)漁獲の経験を生かした陸上での養殖及びそれからの医薬・健康食品・化粧品などの会社誘致
5)沖積地を離れることができないなら、戸建て別の地盤ではなく少なくとも町内単位サイズの共同地盤とすることだろうか。小舟なら揺れが大きく転覆することがあるが、大型客船レベルでは揺れが少ない。などを考えた。いずれも荒唐無稽。お笑い下され。
私事ですが11月のカニ解禁時には越前蟹が送られてくる。昨年は越前蟹が不漁とのことで、代わりに石川県の加能蟹が送られてきた。(加賀+能登=加能蟹)。味の違いがわかるほどでないので、お裾分けして美味しく頂いた。その時、なぜ? 越前蟹が石川沖へ移動したのか? 海水温暖化? 海流が変わった? 餌が新規に見つかった? 乱獲? なんだかわからないがモヤモヤしていた。
今だから言えると言われればその通りだが、3年前から海底付近の岩盤の動きが頻発になって、それに伴って新しい餌が出てきたことでカニが移住したのではないか。見てきたように言う講釈師とこれもお笑い下され。ただこれからは海底・深海の情報により地上での出来事がより精度が高く動きが予知できる可能性を期待したい。最後に石川県馳知事は元格闘家。これも災害と正面から戦うには天命だと思う。応援したい。