慶應義塾の応援に色々な声があった高校野球。徐々に下火になり話題は次に移った。本来は敵味方なしに、いいぞっ!と褒める応援、エラーした時にドンマイと落ち着かせるのも応援、ピッチャーが投ずる球の風切り音やキャッチミットの音を聞きたいときは静かにするのも応援。金属バットの乾いた音を楽しめる場を作るのも応援。
両校の選手が審判の前で整列してお辞儀をして試合開始。両校の応援団も相手に対してエールを送る。MLB(ベースボール)にはない。150年前に野球が導入された時から剣道・柔道と同じく礼に始り礼に終わる形式が今でも継続している。これが基本。学生の応援団にはグラウンドの選手と同じく節度を学ぶ場でもあるのだろう。大人用ワードは「矩を踰えず」かな。
その範囲内での応援の創意工夫は歓迎される。麦わら帽子にカチ割(氷をアイスピックで割ってポリエチ袋に入れたもの)の時代からPL学園登場の時からスタンド風景が変わった。PLは赤白のパネルで大きくPLの文字を表現。甲子園出場が決まると学生も練習を重ねたであろう。三三七拍子は消えた。ブラスバンドの規模が小さい学校の時は地元西宮の有志が賛助カバーするなど絆が見られた。見ていても微笑ましい風景だった。
学校も変わった。生まれた土地の高校に進学して野球をするスタイルから野球留学の言葉が出始めた。学校も中学生もブランディングを重視するようになった。最近の応援風景はエンタテインメント・ショー的要素が入りつつあるのではないかと思う。エンタテインメント・ショー的だからyou tubeでもアクセス数稼ぎに利用された。
慶應の確固たるブランディングに加え都会風応援は仙台育英も持ち合わせているものの、少なくとも相手攻撃の時は遠慮しろよと観衆は感じたのであろう。確かにショーならば幕間がある。学生に罪はなく、マネジメントの問題だと思うが「慢」のゾーンにいると案外気がつかないものだ。
人によって同じワードを発しても受け取る方は違うことはよくある。当方が経験したのは地方大会での出来事。その地域では歴史ある進学校。その応援スタンドから野次がとんだ。それが翌日の新聞に載った。言った方は意識がなくとも、相手ベンチは侮辱と受け取ったはずだと記者の感想。漢文の学校教育方針を読めないはずのない生徒でも「慢」の意味を知らなかった。(尚、小生の知り合いで慶應卒の人が多くおられますが、自ら慶應卒と言う人はいない。言われるのを嫌う人も多い紳士・淑女ばかり。(これホント)
今回の件はこれくらいにして、球場全体が両方の高校を応援したことがあった。お分かりように、沖縄首里高校が参加した本土復帰前の記念大会(1958年昭和33年)。相手は強豪敦賀。米国占領地域から本土への渡航にはパスポートかそれに準ずる手続きが必要であり、試合終了後に甲子園の土を持ち帰ろうとしたら、沖縄への持ち込み禁止でやむなく海に捨てたあの試合と出来事。もちろん応援も沖縄からの参加は望むべくもなく、沖縄出身者+有志からなる応援になるところだが、こうなると事情はまるっきり異なる。球場全部が首里を応援し、球場全部が敦賀を応援。本来の応援の姿はこれが原点ではなかろうかと思う。
余談:決勝の日に東横線で帰る途中に慶應のある日吉駅で途中下車。やはり高校野球はなんだかんだ言っても引きつける。小生の場合それを野次馬と人は言う。