あっ!3Dプリンターだ。これ学校にある! 和光市民まつりに3Dプリンター研究会が出展したときの子供の声。へぇ~知らなかったぁ これは親の声。新旧の声が今を象徴している。ダンベルの実物と3Dプリンター製品のどちらが本物?と触らないで当てさせるクイズでは的中率は50%。外観の凹凸や光沢では判断できない。持ってみて初めて分かるところまで精巧なレベルまでできていることに感心していた。先週ブログで紹介したパラパラ漫画の立体版(ゾーエトロープ:Zoetrope)も好評で、親御さんにはパラパラというと納得していました。
写真は回転させLEDを点滅させると上から下へ水が落ちるように見える。
FDM方式でピカチュウの成形実演や光重合での試作品を展示するなかで、こちらから、既に世界規模では12兆円まできました。今後の物作りの世界は変わる。それを担うのは興味を示してくれた子供の将来にかかっていますと語りかけると、理解を示してくれた。さすが和光市民はレベルが違いますね~と当方は本音で相づち。和光市商工会主催のまつり土日併せて約8万人と凄い熱気。地元企業のホンダもNSXを本日に限り大幅サービス200万円値引き!として展示していました。2750万円。惜しいかな、ガレージのサイズが合わないとの理由で辞退(笑)。1日5台の生産と聞いて、それこそ3Dプリンターでの自動車生産実績を積むには好適ではないかと我田引水。樹脂のみならず金属3Dプリンターや機構部品での高速精密5軸切削装置が応用されると期待した。
喧噪な会場で3Dプリンターのブースを静かに眺めている若い人物がいた。目に何か言いたいことが一杯ありそうな雰囲気が漂ってきたので、挨拶とショート会話。これが実に有益であった。若い技術には若い視点と情熱が相乗効果を生むと当方が興奮したことは言うまでも無い。
翌日は山形大学工学部を訪問。米沢高専が源流で繊維産業発祥の一つ。帝人(旧帝国人絹)はこの米沢出身者が設立した。現在は有機EL、高分子成形など世界に誇る設備と教授陣があり産官学の推進大学として有名である。最強の蜘蛛の糸を開発したのもこの大学(鶴岡分室)で源流からの流れは今でも息づいている。
天然繊維の源流はコットンとシルク。このブログでも幾度も登場したが、今回は米沢の帰路、官営富岡製糸工場を見学。世界遺産に指定され俄然注目を浴び観光客は今でも絶えない。養蚕は富岡に限らず、八王子など盛んであったはずがなぜ輸出港から相当の距離にある群馬県なのか知らなかった。でも現地の地形をみると分かった。直ぐ下に河川があり、となり町の高崎観音の下には亜炭が埋蔵とあってフランス製蒸気駆動ブリュナエンジンを利用して繭からの糸繰りなどに利用できる絶好の土地柄であることを理解した。
養蚕から繭・シルク生産は明治3年に高崎で小さな産声をあげ、次いで明治5年富岡、長野の岡谷と拡大した歴史がある。現在は世界生産量17万トン/年。中国が世界シェア80%を占め、インド、シルクロードの国が生産拠点。価格は日本品の1/3と安価である。従って、国産のシルク生産は消滅したと思っていた。岡谷は機をみるに敏で、時計など精密機器産業にシフトしたが、富岡は機械の国産化が遅れたこともあり、その後も蚕に拘り技術保存・継承運動をしつつ、地道な研究の結果DNAが操作された蚕の育成までこぎ着けた。光るシルク糸をはじめ健康食品・医薬への足がかりを作っている。現在、この技術を大々的に熊本で実証が始まっている。長野県民と群馬県民の県民性、それをならしめている風土が強く関係しているのではないかとの感想を持った。
3Dプリンターの原理を発明したのは日本人。特許を出願しながら審査請求せずに留学。それには事情があるのだろう。アメリカの風土がアイデアを成功に導いた。知恵を絞ることが産業であるイスラエルも次々と新技術を発表している。ドイツは几帳面さを発揮して精巧な3Dプリンターを製作している。それでは日本はどうするか? 心配は無用。若い人物や目を輝かせて3Dプリンターをみてくれた生徒児童が任せてくれと。