ディベート 雑感アラカルト

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「突如って一人称ですよね」 この発言をしたのは今や時の人になった広島県安芸高田市の市長石丸伸二氏。記者会見での出来事。一人称が何かは知っているが、これをFacebookで見聞きするまで「突如が一人称」とは自分は思ってもいなく、見事に隙をつかれたアッパレ感があった。詳細はFacebookをチェックされたい。

このワードが出てきたのは市長の記者会見の時。 議会で不信任決議や問責決議案が浮上したときに記者は前後を切り取り「突如」と記事にした。正確な報道が好ましいとして市が記者に問うた。(本ブログは政治・宗教には踏み込まない)。通訳するまでもなく「記者さん一人のみが感じたのですね」と。その意味で一人称。この模様を眺めながら、日本でも本物のディベート力が必要になったことは面白いと感じたので取り上げた。

議会のやりとりを見た多くの市民のエビデンスがあれば一人称ではないと反論すれば良いだけなのだがなかった。わずか6日間でアクセス230万回。前後半合わせて2時間。飽きもせず見てしまった。悪いがドラマ半沢直樹よりインパクトはある。「突如だけではない」全体の論点と筋道が整理されているところが心地良い。市議別の活動比較など市民モニタリングが公開されているのも今風で刺激的。

話は飛躍するが、数学を得意としている人から「数学は国語を単純に記号で置き換えたに過ぎない」というのを何回も聞いたことがある。国語ができる人は数学も得意だという。だけどオール5をとる人は持って生まれた頭が良いのでは?と勘ぐりもする。ビジネスや人間関係において三角関数、微分積分は理解しやすいが、偏微分方程式も国語だと言われても違うだろうと思い、その後で「そういえばそうかもだなぁ」を経験した。尤もE=mc2 の相対性理論になると国語より哲学かも知れない。

つまり話し言葉でも、文章の時でも言葉の定義があり論理的で数式になるかが自分の頭も、相手の頭脳に受け入れてもらえるには必要なのだ。と。 それがわかっていないと敬遠されるだろう。だが一朝一夕で身につくものではない。修羅場を経験して身につけた人はPDCAを(自分が意識したかわからなくても)何回も回していたに違いない。

囲碁将棋の世界のPは桁が違うが、通常のビジネスなどでも複数のシナリオを考える。経験は少ないが頭脳が良い人は多くのシナリオを考える。だが、多くは悲観的なシナリオの比率が多くなり結局は動かないか、動いても遅い。

そこで今はDCAの時代が主流となっている。とにかくDから始めてやりながらCを実行して本格的なPを構築する方式が浸透している。だが、良いことばかりではない。Dから始めると成功する打率が低いのだ。少ない予算で大きな成果なんて無理。小さな成果から発展を予想しリードする会社体質なら成功するが、多くのケースはいかがだろうか。これを突破するには 1つは情熱 2は説得するに十分な論理展開力。3 粘り

かくして日本の会社には潜在的飛躍可能なネタが豊富に在庫しているが、振り返り見直すようなことはサラリーマンとしては事実上できない。実にもったいない。

冒頭の安芸高田市の実情は知らないので、それこそ迂闊なことは言えないが、市長の前職である銀行員の経済分析能力をベースに市を分析し、将来ありうる経済困窮を回避するためのPを提案した。受け取ったのは市民。従来型の広報活動に加えTwitter, Facebookでの発信は情熱と粘りを感ずる。議員はPDCAにより市長の論理展開と同じ能力を獲得すれば良いだけの話で簡単。肉体年齢は高齢でもITを駆使し、頭脳を使って論理的議論ができる人は素敵だ。もっと素敵になるには、対応できない人には全体に迷惑にならない上手な逃げ道を作ることなのかもしれないが。

話は突然変わるが、ある超大手企業において経営陣におられた人(現在顧問)から半年前に小生の後輩を紹介するとして、この企業が参加している展示会の合間を縫ってお会いした。すごく頭脳がシャープで論理思考は確かな上に、市場分析に長けており、かつ腰が低い。おまけにイケメン。いうところなしで少しだけの会話でデキルと直感した。小生の前職の会社に所属していたことをもって後輩と理解していた。先日、同社顧問との縁あってそのイケメン・出来る人材が所属する会社でプレゼンテーションをした。後で大学学部も同じですと言われ驚いた。2重の縁ある後輩が凄い人。先輩としてどうなのか?と反省させられた。と同時に新しい目標ができた。

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