白紙からの復興デザイン

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6月末の金・土に横浜市役所のホールで米沢市・商工会による紅花展が開催されていた。和太鼓に民謡、笹野の一刀彫りや名産品をワゴン販売。米沢置賜地区で美味しい卵かけご飯用のタレがあるので購入した。米沢移住促進コーナーもあった。米沢と言えば、江戸時代の上杉鷹山公による財政破綻状態から脱出させた手腕が有名。ケネディが最も尊敬するのは鷹山だった。米沢織など殖産、税制改革の一方で旧弊システムの城内改革を実践した。

「伝国の辞」はあまりにも有名 35歳で引退した後も後継者の大規模工事など指導。

細々とした改善の蓄積というより「白紙からの大型デザイン」と言うべきスケール。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

耳の痛い政治屋はいませんか?

それから200年後の現在の米沢といえば米沢牛。米沢ラーメン、板そば。工業製品ではNECがレボノのパソコンを生産。経済力指数0.58 そこそこの公的資金が必要団体。

当方は米沢の山形大学に実験で相当数通っただけに懐かしいと同時に鷹山公が観光資源になっているのは複雑な思いがする。

実はあまり知られていないが、帝人は米沢発企業。だが広島に行ってしまった。帝人がまさか大企業になるとは予想できなかったのか、折角の大飛躍する機会を有効に使えなかった。その理由は 電力不足、労働力不足、脆弱な交通網など挙げられている。がしかし、考えてみるとこれらは卵・鶏の関係。企業が存在すれば他所から人は集まる。最上川上流からの電源開発もある。欠点は鉄道が脆弱で米沢は海に面していない。同じ山形県内の酒田は北前船の拠点で京都との結びつきが強い古い歴史がある。

随分前のことだが研究チームの一人が酒田で結婚式を挙げた。その時、驚いたことに舞妓さんが登場(市役所の女性が京都で修行されたとのこと。)このように酒田と関西は繋がりがあった。だとすれば行政トップが米沢と酒田の組み合わせで企業育成を図ることもできたはず。鷹山公が現在も存在していれば、どのように考えたであろうか。鷹山公就任前は累積20万両の負債があり、毎年5万両の赤字。それが改革により借金返済と毎年黒字変換ができた。経済力指数1.0と凄い成果。まさに英雄。だが、現在の経済力指数0.58と比較すると、英雄の理念と行動を継承するのは難しいとわかる。一人で頑張るにも限界がある。グループでつないでいくことが重要だと展示会を見ながら思った。

先日、仲間内会合で地震についての講演があった。今回は東工大名誉教授による能登地震調査特別報告があった。その際メンバーの多くから能登地震の復興が遅いことが話題になった。理由は多々あるだろうが、地震前に人口流出が激しい状況の中、地震が追い討ちをかけた。前年5月比較で7%も減少。特に若者が流出した。(奥能登:珠洲市、輪島市、穴水町、能登町)高齢社会が一気に進んだ。

輪島の朝市は有名ではあるが、全体の経済力指数は0.25前後と極めて低い。金沢や小松の0.88,0.71に比較すると流出はやむをえない。“復興”は元の姿に戻すとの意味があるが、むしろ、ここでも、鷹山公に習って白紙からデザインする方が良いだろう。

能登強みの漁業・海産物を発展させうる企業の誘致と高齢者を含む家族は金沢や野々市のコンパクトシティに居住してもらい、従業員が通勤できるインフラ(道路・割引)にするのもありかと思う。現況はプロレス技で言えばチョーキングとまんじ固め状態。ここからの脱出は元プロレスラーの馳知事の得意技「裏投」で乗り切ってほしいが、もったいぶらないで早く技を繰り出すことが求められる。後年伝えられる人になれるかどうかの瀬戸際だ。がんばれ!!

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