なんば歩き初心者

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卒業・入学式が終わったが、女性の着物姿を見るとやはり日本はいいなぁと思う。ただ足元は着物に調和した履物ではなく、持ち物の履物の中でなるべく合わせるべく選んだとしても違和感がある。もう一つ気になるのは歩き方。

普通の歩行スタイルは西洋式。手と足が交互に動く。和服であれば小幅な内向き歩きか、なんば歩きをしないと前が崩れやすい。西洋式は左右の手と足が交差することで身体を捻りながら歩くのに対して、なんば歩きは手と足の方向が結果として一致しているか、または手を動かさない。極端には能・狂言における両手を腰前にあて腰を落としつつ、(スキーのストックを持って、やや前屈み重心で)移動をする様と言えば分かるだろうか。

若い人はそれを教わっていないので無理もないが、中高年のおばさま族も西洋式でお歩きになっているのを見ると、「いや帯がなんとか、染めは京都の誰々・・の物で高かったのよ」と口では言っても、お里帰り知れるので注意が必要だ。その京都では観光客が舞妓さんライクの着付けをして闊歩している様を見ると、チグハグ感は拭えない。その時になんば歩きをしていれば、都人も認めるであろうが。それが着物を生かした“はんなり”となるがどうだろう。ちなみに“はんなり”を多くの人は誤解をしているので、参考までに翻訳すると“上品で華がある”である。

と偉そうなことを言いつつ、自分は昨年トータル*****万歩歩いただの、距離では*****km歩いただの、バカ丸出しの結果を吹聴して憚らなかった。いやはや。結果はどうなったか。恥ずかしながら言えば、確かにふくよかなお腹周りは引き締まったが、膝の柔軟性が劣り、足先が痛むことの副作用を味わうに至った。知り合いに2万歩/日を実践した強者がいたが医者から強く止めるよう指導があったとこぼしていたことを思い出し、当方も歩数については(このブログでも文献情報をお伝えしていることもあり)8000以上 1万歩未満とすることにした。

さて、とはいえ傷ついた膝と足先対策をどうしたものか・・が冒頭のなんば歩きを当面実践してみることにしたのが理由である。

侍は脇差を腰に刺しているだけに手を現代のような振り方はできない。下手にしようものなら隣の人に当たり傷害事件にもなりかねない。庶民も腰回りに身の回り品物とくくりつけるか、天秤棒で物売りでは今式の歩行スタイルでは商品が捩れて歩行どころではない。など事情はあっただろうが要するに身体は捻らずに上下運動だけ、前進には身体をやや傾けてその重心移動のベクトルで体がついていく方法らしい。確かに腕を大きく振りつつ捻りでは運動エネルギー(二次モーメント)ロスは大きい。

なんば歩き1ヶ月。正直なところ慣れない。意識している間はなんとか形にはなっても、ここぞという時には元の西洋式がつい出る。本来は咄嗟の難場の時に“なんば”でかわすはずだが、ニワカなんばでは習得はムヅカシイ。だが、少なくとも分かったことは坂道・階段昇降ではなんば歩行が楽。これは言える。

ものの本によると、元々日本人はなんば歩きが基本だったのが明治になって庶民も西洋式の軍隊のように訓練する中でなんば歩きをしなくなったとある。ある日 you tubeで自衛隊、防衛大学などの総合パレード風景を見た。揃って行進する中で一人だけ先頭で捧げつつのリーダーの歩き方が違うことに気がついた。普通は膝を伸ばして踵から着地するのに対して、その人は膝を伸ばさず、後ろ足を前にスウイングして置きにいくスタイル。捧げつつの剣を持っているので手は振らず腰の位置。“準なんば歩き”とみた。リーダを務めるのだから勉学・実学において優秀なのだろう。筆者はある企業の新人教育の一環として、朝霞自衛隊に体験入隊をさせられた。40kgの土嚢をかついで100m競争だの、歩行整列訓練だけだったのだが、毎日これを平然とやってのける自衛隊の人の体力は凄いと感心したものだった。それを思い出し、このリーダーの歩き方は合理的な体力の使い方ではなかろうかと、長い時間をおいてフラッシュバックしてきた。

と書いてきたが、文章がチグハグで軸がないことに気がついた。肺活量が大きいと一呼吸で一気に書くことができるが、肺活量が小さいと、小刻みな息継ぎの度に文章が揺らぐ。書く前に肺活量を大きくすべきであるとの奥方のアドバイス。その命令を免罪符として今日も街をぶらぶら。にわかなんば歩きで。

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