敬語とマナー

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ある会社から返信用封筒が同封された見積書が送付されてきた。「お見積りに同意したら発注書に記入・捺印して送付して欲しい」発注書の発注先蘭及び返信用封筒には***株式会社 御中。

国語に自信がない筆者でも驚いた。マナー講師と江頭2:50のマナーバトルが炎上しているそうだが、エンターテイメントとしての出来事なので炎上してある意味成功している。挑発的にマナー違反をする江頭2:50に対して激昂しながら指導する講師。これが、お淑やかに指導していては番組のコンセプトに合わない。結果として局を含め三者とも視聴率を稼いだ。

今回の見積書事案でブログのネタを提供してもらった形である。勿論冗談だが、真面目な話ビジネスであれば、赤ペン先生ならずとも、ツッコミたくなる。

ただし、この会社の言い訳にはなるが、担当が業務を長期間放置しており迷惑をかけたこともあり、書類送付案内付箋に長いお詫び文章が綴られている。そこは尊敬語、謙譲語、丁寧語を混合して駆使されている。読みづらいがお詫びの誠意は汲み取れた。しかし残念ながら最後の最後で力尽きたのであろうかミスをした。TV視聴率的に表現すれば番組打ち切りに近い。

既に皆様ご理解の通り、自社宛に「御中」は使わない。個人の手紙で自分に”様”を付けることはない。返信用封筒宛先の御中には「行」と書き、差し出す人が「行」に線を引いて御中とするのがマナー。この会社の返信用封筒は初めから印刷されている。返信する人の手間を省いているとも言えるが、まだ多くの割合の人はそうは見ないだろう。

「御中」は会社全体に当てたもので、開封した人が社内組織に従って転送・割り振りをする。今回は名刺が同封されていたこともあり、「会社+個人名+様」の形で返信した。

発注書に記入するところは発注者の名前だけなので「署名・捺印」が普通。その他の箇所も指摘されるが国語は時代によって流動するだけに大目に見ないといけないのだろうか。

も、個人宛に「様」ではなく「殿」と記載されると妙な気分になるのも日本人。ご承知のように「殿」は”しんがり”。戦国時代の争いで退却する際に敵に追撃されないように強者に任せたのが”しんがり”。なので、殿と書かれると「あなたは決してトップではない」と烙印を押されたとなる。 今後は宛先などは To 、 From が普通になるかも。日本語は他言語をミックスするのが上手だから。

さわありながら、(ややシツコイが)お見積りの「お」や詫び状の中の「ご提案させて頂きます」の「ご」に引っかかる人がいる。この時の「お」「ご」は尊敬語ではなく謙譲語だが、なんとなく自分の行為に尊敬語をつけるか?と誤解する人は多い。次の「させて」は頻繁に目にする。貴方が命じたので的な使役動詞。こちらからお願いしたことではないケースでは妙に聞こえる。全体的に「提案します」の方がスッキリする。

話は転じて。

国語と数学は世界が違うようで、実は数学は国語表現の一つであると言う人は多い。小学校の頃の算数文章問題は数式(方程式)の空欄を埋めるための国語表現だとわかる人は多いだろうが、難解なアインシュタインの相対性理論も国語と言えばホント?。理路整然たるシナリオ(理論)を文章にすると小説に、式に置き換えると理論物理になる。数学・理論物理は長年の積み重ねで到達しているが、その間において確立した形式は継承している。

世界の巨大化学メーカーの経営者や重鎮には化学工学出身者が圧倒的に多い。化学工学は化学物質を扱うものの、考え方は数学(ニュートニアン力学で十分)だけに経営にも応用ができるのであろう。日本の経営者において数学が本質的に嫌いな人は珍しいと思いたいがどうだろうか。雰囲気だけの気合いだけのコメンテーターは淘汰され理論数理学経済学者に信頼が集まったのはなぜか。数式に裏打ちされた図表など表現が馴染みのある国語として理解されたのだろうと思う。

マナーで思い出したのは京都の和菓子。何十年も前の話だが、ある家でお茶とともに和菓子がでた。筆者はその和菓子が提供された意味を知らなかった。隣にそっと合図を送る女性がいて手が止まった。長い歴史の中で提供された和菓子には意味があったのだ。無知蒙昧と恥いった次第。それにふさわしい会話をしてから頂戴する作法だったのだ。最近関東地区で頂いた和菓子で思ったのは、甘いことが最高の贅沢だった時代のお菓子については、現在の健康志向の動きを微分して変化しないと、取り残されることになるのではないか。それが新しい礼儀マナーだとして。

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