研究チーム規模と成果&京都企業の特徴

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Nature 566, 330-332 (2019) に面白い論文があった。要旨を紹介する。

Small research teams ‘disrupt’ science more radically than large ones

The application of a new citation metric prompts a reassessment of the relationship between the size of scientific teams and research impact, and calls into question the trend to emphasize ‘big team’ science.

The application of a new citation metric prompts a reassess

科学技術の流れを乱して革新をもたらす「破壊度」を引用数指標として用いることで、研究チームの規模と研究の影響度との間に新たな関係性が見いだされ、「大きなチーム」の科学を賞賛する傾向に疑問が投げ掛けられた。

小さな研究チームは新しいコンセプトの提案や科学史上インパクトのある成果をだしている。一方、大きなチームは科学で大きな役割を果たしているとは言えないがコラボなど規模を活かし既存技術の強化において成功している。随分の意訳であるが概ねこのようなことであるが、紳士的でない表現が許されれば「大きな研究チームは過去開発した技術を拡張するか重箱の隅を突くようなことを研究成果としている」と言える。

過去の事例を超える文献、特許などについてWuらは引用指標を設け整理し図に示している。今回のWuらの論文はある発明がそれまでの技術開発の流れを乱すものなのか、それとも現状を強化するものなのかを評価するために最近開発された、特許引用に基づく指標を科学技術の領域へと拡張し「科学技術の破壊度」という指標を提案している。

論文だけでなく、特許、ソフトウエア開発にも適用でき、論文の場合は生物科学から物理科学、さらには社会科学まで当てはまることが示された。筆者の感想では会社組織などは参考になるのではと思う。

 

 

 

図-1 小さなチームは科学に対して大きなチームよりも破壊度の高い貢献をする

今回Wuらは、科学論文の被引用数の中央値(赤色の線)はチームの規模が大きくなるにつれ上昇するのに対し、引用に小渡尽く指標によって決まる、論文の破壊度の平均度(緑の線)はチームが大きくなるにつれ低下することを明らかにした。 研究論文2417万に基づいている。

当方はこの文献を見ながら、以前このブログで京都の企業は何故か元気と書いたことがある。オムロン、島津製作所、堀場製作所、日本電産、村田製作所、京セラ、任天堂、ワコール、ローム、第一工業製薬 などは京都本社であり続けている。大阪企業が東京に本社を移転しても、東京に行く気は全く無い。 江戸時代まで遡れば大倉酒造、福田金属箔、宝酒造、川島織物などがあり、これら老舗企業と先に挙げた企業の共通項は、一人のベンチャー創業者が特徴となっている。 京都といえば寺社仏閣、観光、文化がウリと思われているが意外にも京都7条から長岡京に至るゾーンは機械・電子・化学工業の街でもある。

では何故、京都なのかの解説については「京都企業が世界を変える ⁻企業価値創造と株式投資-」川北・奥野氏共著に記載されている。京都企業にお勤めの方が要旨を纏めておられる。ポイントと筆者の感想を記載する

背景として

①   文化・もの作りの1000年以上の伝承

②   オリジナリティの追求とグローバルな意識(良い意味でのプライドの高さ、気位の高さ)

③   技術志向クラスターの形成 西陣の伝統のように京都企業相互に情報交換し協力、今風で言えばクラスター)

④    ユニークな研究で突出している京大を始め大学の街であり、民間企業との交流が昔から京の街に根付いている。

⑤   京都銀行が創業期から融資に協力。 都銀にはできないフォロー

その結果

*海外での事業展開比率が高い。東証上場全企業比較では10ポイント以上高い。

*利益水準(ROA)が上場企業平均を上回っている。高付加価値の製品販売が多い。

経営者の資質

これだけ他地域とは違う企業は特徴のある創業者・継承者の発言にも見ることができる。例をあげると、一代で世界トップに駆け上った日本電産の永守さんは絶対に負けないという気概をもちつつ百年企業にはグローバル人材の育成が重要とあって

必要な能力は「突破力」「雑談力」「英語力」を挙げている。なんだ常識ではないか。でもそれがなかなかできない。

たとえば、「雑談力」 無駄なおしゃべりではない、気が利いて、気配りができ、洗練されたセンスの話題をポケットに蓄積しておいて、タイムリーに出しながら相手から本音を引き出す。相当の芸術的域の世界なのだ。電車のドア付近に立ち塞ぐ人々を筆者は見る度に「あぁ気が利かない人だなぁ。あの様な人には任せられないなぁ」と思っている。自分では意識していなくても、相手は反感を持つ。そんな人に雑談力は期待できない。人つくりは子供の時から始まっているとしたら地域の性格も反映するのだろう。

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