夏の甲子園が始まった。皆様にとって色んな想い出があるでしょう。歯科業界のなかには甲子園児だった人もおられよう。小職の高校は旧制中学当時に出場権は得たものの迫り来る戦禍に中止になった。戦後は地方大会でも1回戦負けの記録が延々と正に縁がない。陸上部からの臨時選手で埋めるようではそれも当然。それでも突然変異でプロ注目の投手が現れると3回戦まで進んだこともあるが、卒業すると元の木阿弥。
甲子園の土は踏むことはできないが、小生にとって甲子園アルプススタンドや外野席(芝生もあった)での観戦歴は結構ある。家を朝の4時に出て、始発の阪急、阪神と乗り継ぎ甲子園に到着。脱兎如く走り中央口に並ぶ。このとき新聞紙を手に疾走するバイト学生と競争になる。バイト学生は球場オープンするやいなやバックネット中段のピッチャー球筋がよく分かるところに駆け上がり新聞紙を拡げて場所取りをする。当方も彼らに負けずに席を確保すべく、階段などの障害物を越えて目的の席へ。試合開始2時間前の障害物競走が終わると、静寂が訪れ朝食弁当にありつく。バイト学生はスカウトの為の場所取りで本当はルール違反だろうが球場も見て見ぬ振り。プロ野球で活躍しスカウトに転じた人や有名な野球評論家がいるので、そう強くは言えなかったと思う。今のスカウトの名誉の為に言うと往時の風景であって今はない。
こちらの楽しみはスカウトの雑談解説を聞くことだった。
「おい、あのピッチャー 評判だけど、もう肩がダメだな」とブルペン投球を見ただけでの判断
→プロになったが活躍せず。
「あの監督のサインはエンドラン。バレバレのサインだ」
→見事に当たった。地方大会から追っかけでチェックしてきたことだから言えるのだろう。現在のサインはプロ並の複雑さ。
「おい、あの監督への挨拶はどうなっているのか」と部下に指示するスカウト
「ゴーストライター記事に目を通す評論家」この記事が明日のスポーツ新聞に載る。
米国スカウトがスピードガンを持っての観戦も普通になってきたが、初めのころは放送、新聞関係者が米国スカウトにインタビューをしているのを聞こえる席で聞いていた。今年も人材が豊富なのでさぞや賑やかなことだろう。
今は見られない光景に銀傘裏天井から紐に結わえられたカメラのフィルムロールがスルスルと降りてくる風景。そうカメラマンが上で撮影したものを受け取り、新聞社に送る人がいた。熱気が籠もる場所で下には滅多にいけないカメラマン。それで熱中症にならなかったのが不思議なくらい。今ほど暑くはなかったのかも。
内野席に入れないときの外野席も結構面白い。地方色が多彩でそれぞれの地元愛を熱く語る人もいれば、プロで大成した人と同級だったが、自分は裏街道に入ってしまったと回顧反省を語る人もおれば人間模様それぞれ。で最後は食べ物、飲み物を交換しながらの観戦。目の前にホームランボールが飛んできた。その選手の名前を忘れないのも外野席の愉しみのひとつであろう。
就職先の三重県で生まれた長男は小学校時代から地方大会ネットに定石のように動かずに観戦。両校の応援団からの差し入れもあり、朝から晩まで張り付いていた。親譲りだが親以上。小生の転勤に伴い横浜にくると長男の高校は2回戦どまり。大学時代TV局の野球関係のバイトをするなかで、横浜校の渡邊監督と会話をすることがあり凄く感動したと。どの道でも極めた人物には頭を下げるだけのパワーと魅力が備わっていると長男からのコメント。この長男も今年の横浜高校の試合日程で甲子園に駆けつけると聞いている。実家に寄るよりは甲子園が惹きつける。これも甲子園の魔物かも。
8月15日12時の合図にスタジアムは静まり黙祷を捧げる。黙祷の間は無心であるが、終わると何故か戦争の戦略・戦術と野球と似ていないか?など思いつくことがある。欧州にいた外交官からは戦争突入せずに、別の和平方法があるとの強いサインを出していながら、無視して強攻策をとる大本営。 日清・日露の地方大会で勝利したので世界大会でも勝てると盲信した当時のエリート。それを囃し立てるマスコミ応援団。相手のベンチのサインを読み損なった結果、最後は自滅コールドゲームで敗戦。その間に散った犠牲者を考えると戦いの前から、かのスカウトの読みのようにしていれば。。。と思わざるをえない。スケールの大小はあるが人間のやることはあまり変わらない。