看護、介護の自動化

駅前の人通りの多いところで、看護士、介護士の方々の署名活動をみることが多くなった。聞けば、夜間業務が大変で、そのための人を増加して欲しい。と本当に切実な訴え。介護施設の場合は更に過酷であり、現場での奉仕精神には全く頭が下がる思いがする。

歳をとるほど赤ちゃん返りとか、我儘やかまって欲しいだけで介護士を呼ぶベルを押す人もいるとか。大変だ。本当に。天職と熱い思いで職に就いたがストレスは溜まるだろう。

介護には2050年には35万人不足するとあって、厚労省は外国からの受け入れ計画があり一部実施されている。先月も拡大するとの発表があった。

しかしながら、人の充実を訴えても満足することは期待薄だろう。看護では本当に人材がいないか、それとも資格を有していても家庭に入ると、再度社会復帰することに何か障害があるのかどちらか。資格を有している人の家庭でも介護が必要であれば現実参加できない。高齢化社会になれば、この問題は加速度的に増える。外国人介護の場合は言葉の障害や資格取得できずに下働きでの給与面での不利がどうしてもつきまとい定着しがたい面がある。

一方、有難いことに電子機器の小型化と通信システムの進歩により看護の一部をアシストするようなデバイスの開発が進んでいる。例えば、お腹の上に置いたデバイスでは膀胱に尿がどの程度溜まっているかを超音波で診断してナースコーナーにてモニタリングすることができる。本当に排尿する必要の時だけ作業すれば良い。超音波の医療分野利用について熱い情熱を持って取り組んでいる若い人がいる。頼もしいかぎり。腕時計風にグリップに嵌めて、脈拍(これは指から取るのが現在でもあるが)や不整脈、血流、血糖値まで測定できるデバイスの開発が発表されている。今後このようなデバイスの種類が増加することは期待できる。便器からの尿や便の温度をセンサーとして情報をとることも進んでいるが、心情的にはやや抵抗感がある。そんな甘っちょろいことは言っていられないのかも知れない。

理化学研究所と東京大の研究グループは、太陽電池内蔵の超薄型センサーを開発し、肌に貼って心電図を取ることに成功したと発表した。ケーブルが不要なので応用範囲は広い。

なので、看護士、介護士の不足を訴える一方で、政府には装置開発企業への支援を要請する方が好ましい。開発品はコストがネックにはなるが、企業と蓄積データーを交換し運用実績を通じてコストカットに協力する方が現実的だと思うが、どうだろう。

手術をすると集中治療室でも3日、その後一般病棟に移されても暫くは体を動かすことができない。その時に脚は活動しないことから、リハビリが重要になる。特に足首は早めのリハビリが必要。3日動かさないと1週間は連続してのリハビリが、1週間動かさないと58日連続のリハビリが必要だと聞いたことがある。ここで問題はベテランの整体師が必要であるが、ここも人不足。整体師の方によると集中治療室の中でも整体できるならやりたいとも。

この課題に取り組んだ人がいる。富山大学の戸田准教授。「足首関節専用ストレッチ」。簡便な仕組みのメカであるが完成するまでに試行錯誤。老人ホームでトライしたら大歓迎であったとのこと。写真はプロタイプなので商品化には安全装置やカバーなどデザインが必要だが、それは企業の仕事。思うにこの先生は整体師のやり方を見て、試作機では患者が痛がるところをコツコツと改善している。川崎重工ロボットビジネスセンターではプログラミングでコントロールするロボットに加えて熟練工の微妙な動きなど熟練技術継承の「サクセサー」制御ロボットを開発している。一旦マスターすれば多数のロボットを稼働させることができる。この川重の技術を整体士ロボへの応用ができたらと妄想している。

 

 

上記は既に罹病した人向けのアシスト機器による看護、介護に対している。一方、予病対策で患者数を減らすことも重要である。 糖尿病予備群が今日はご飯の大盛サービスですと店員に言われても、逆に小盛で結構ですと言い、美味しい羊羹を目の前にしてもパスするなど自業自得だと言えばそうだが、これは本当に自分だけの責任であろうか。肥満、喫煙、酒依存性など自分では「分かっちゃいるが止められない」。肥満は生後間もない時期の食事に依存していることが分かっている。ジャンクフードでもありがたい経済事情の家庭では肥満の子供になりやすいと (例外はありますのでお断りしておきます)。健康の社会的決定要因によって、その後の健康格差が生じているとしたら、経済政策が実は予病に深く関係。医療設備がないか不十分な地域との先端医療設備との双方向の医療情報交換ができるインフラも同時に必要。慶応義塾の小池教授は長年にわたって当該分野の研究で先頭を走っている。さらなる利用に対して予算手当を政府として力を入れて欲しいものだ。

絹と染色 新しい息吹

シルクは高級衣料はもちろん、最近はシルクから抽出された成分による保湿化粧品やダイエット健康食品、医薬品原料としても注目されている。

横浜・山下公園の近くにシルクセンターがある。関東甲信越地区で生産されたシルク(絹)の貿易輸出港として大盛況だった時代のなごりであろう。センター内には海外向けお土産用に染色されたスカーフ、ハンカチなどが販売されている。当時の外国向けなので色柄は原色を強調しながら日本の風景も入れたデザイン。当時の外国の人には人気だったのだろう。

150年後の今は本物の日本を理解したいと思う傾向がある。いずれデザインはヨコハマを活かしつつも変わると予想する。その方向のエッジに今回紹介する染色家がいる。

 

絹は蚕が口からフィブロインタンパク質を糸状に出しながら繭を作る。この時に蚕は首を振ることで配向延伸させることで極細であるが強度のある繊維を製造している。繊維は2重構造になっていて、外側がセリシン、内側がフィブロイン。染色するには製糸時の糊及びセリシンを精練工程で除去する。このセリシンは長く利用されなかったが、精練会社が目をつけて化粧品に展開している。その会社は福井セーレン。日米貿易摩擦で没落した繊維地場産業を現在は自動車関連特殊繊維や化粧品、消臭下着などの高付加価値の生産。精練工程から旧鐘紡のナイロン事業を買収し上流から下流までカバーし体質を完全に変えてしまった。セーレン東証1部。

 その福井出身で京都西陣で活躍する絹一筋に染色工芸を極め絹製品のイメージを変えた人物がいる。和服、帯、帯留め、スカーフ、茶室道具、タペストリーと活動の幅は広い。大胆なデザインの一方で小紋などにベースと異なる色を配する場合、模様の淵を染料が混在しないように極細の絹糸でお土居(堤防的)をつくる。非常に気が遠くなるような作業に根気を必要とする。ベースの色合いが見事なグラデーションから構成されている。例えば「紺色」であれば染料を複数混合し、色彩、色の深み、光沢など異なる約20種類をまず作るところから作業は始まる。簡単に書いたが、絹の染料は酸性染料が利用される。染料の分子構造にスルホン酸、カルボン酸などがあり、絹のたんぱく質と反応させるメカニズムである。

酸性PHが3~6までが酸性染料であるが、染料にはそれぞれの最適な酸性がある。従って、化学の知識がなく適当に混合していては仕上がりで色ムラが生ずる。次に絹生地に刷毛で表からコーティングする。ただし同時に裏もコーティングするだけの塗布量をムラなくコーティングする技術が必要。知識、感性と可能ならしめる熟練度の折り合いである。

玉村咏作品展が南青山で行われていた。その一部を紹介する。

 話は第一次戦争時代にとぶ。当時のエネルギーは石炭。石炭を原料として化学は発達した。特にドイツは石炭化学の先進地であった。石炭には芳香族化合物を多く含む(亀の甲)。そこから有機化学が発達し、染料が次々に発明されていった。大学の工学部の化学コースは40年前はドイツ語が必須だった。英会話もおぼつかないのにドイツ語会話もテストがあった。第二外国の選択余地なし。フランス語を選択すればモテたかも知れないが??。

 染料になぜ芳香族化合物なのかは事例をみるとわかるが、芳香族の(亀の甲)を横からみると電子が上下に動きながら雲のようになっている。そこに他の官能基(スルホン基、カルボン酸、アミン基など)より電子が吸引されて、この雲と伸びると、化合物の色は無色から黄色へとシフトする。この電子雲の広がり、厚さの程度により黄色、青、緑、赤、黒にシフトする。

日本でも石炭化学は盛んであったが、石油化学の勃興に加え汎用繊維業界の海外シフトに伴いメーカー数は減少。日本化薬などが健闘している。欧州の本場でもヘキスト、バイエル、BASF、チバガイギーなどは染料も継続しながらも主力は有機化学を活用して医薬、添加剤に向かっており、そのための企業合従連合となっている。

医薬品は重要。一方、京都のはんなり(雅で映える)グラデーションを活かしたデザイン製品を観る、身に着けることは「心のお薬」として作用がある。超一流ホテルのタペストリーに採用されホスピタリティ効果を果たしている。宿泊したことはないが、わかるような気がする。

だが、染色デザイナーとしてみれば「わかるような気がする」では済まないのだろう、年齢を重ねても追い求める理想は遠くに逃げていくような気持ちだと想像する。それがあるかぎり我々は芸術家の作品を愉しむことができる。

映画と現実

Facebookにコスモサイン加藤社長が映画Ocean’s8で3Dプリンターを利用した華麗でド派手窃盗劇を見て面白かったとアップ。ツッコミ処満載で笑えたとも。

映画や漫画には奇想天外でも何れ実現することも多々ある。まして3Dプリンターやジルコニアに関心ある者が観劇しない理由はない。上映最終日のレイトショーに間に合った。

服役を終えた詐欺師Oceanをリーダーに、負債を抱え人気ピークを過ぎた服飾デザイナー、ハッカー、手先が器用なスリなど女性7人が宝石窃盗を企てる。狙いはNYメトロポリタン美術館で開催されるパーティでモデルが身に着ける1.5億ドルのネックレス。まずCARTIERに言葉巧みに取り入り地下金庫に保管してある宝石を見たいと侵入に成功。眼鏡枠に仕込んだスキャニング装置でスキャニングしアジトにセットしてある3Dプリンターに飛ばす仕組み。スキャンは2D。プリンターはFDM風(フィラメントはないが、ノズルから透明材料が積層されて彫像を制作している風景)、サポートもない。多分、ガラス製の彫像の頭に透明樹脂をノズルから少量流して3Dプリンター成形を扮している。

ジルコニアはFDM成形できない。光硬化樹脂とのコンパウンドでインクジェットなら可能性はあるが、その装置ではない。光硬化樹脂なしでジルコニアを溶融させるには1500℃以上が必要で冷却条件によって結晶変態が生成する。

ジルコニア製と思わせる透明彫像では光が屈折する筈だがこれがない。なるほど加藤社長の言われるツッコミ処がいくつも。

映画監督は勉強している。単なる女性による窃盗では映画にならない。そこで今から主流になるであろう3Dプリンターと組み合わせた。まず眼鏡をスキャン装置に利用することを着想した。2年ほど前にドイツの会社が眼鏡枠の中に電池を埋め込み、レンズの表面に液晶を貼って眼鏡枠のスイッチを入れるたびに近視用、遠視用など切り替えるメガネを発表。(現在日本では化学メーカーが提携)これらの情報を参考にしていると思われる。地味だけど面白い眼鏡展。話は飛躍するが記憶合金の眼鏡枠が30年ほど前、今後は記録(ドライブレコーダー的)機能搭載眼鏡がでるかも知れないなぁと映画のテンポが速いなか考えた。

そんな固いことを言わず、セキュリティ専門を手玉にとってまんまと狙い以上のブツを獲得していく痛快ドラマを楽しむ。落ちは宝石を身に着けていたモデルも分け前を要求して、ここでOcean’s8となる。保険会社の犯人捜しに対して詐欺で投獄された男への復讐もあり身代わりに仕立て、あとの8人は優雅な生活へ。

夢から現実へ

どらえもんのタケコプターが実現しそうだ。自動車が空を飛ぶ時代がよもや来るとは思わなかったが、2020年オリンピックまでに法整備がされる情報がある。ベンチャー企業では大型ドローンを自動車にも利用できる装置を試作しテスト飛行及び道路走行に成功している。イスラエル企業では時速500kmを目標に開発を進めている。

ドローンはモーターで羽を回す。さすれば飛行機も電池とモーターになる可能性が現実化してきた。エンジン内燃機関より軽量であれば切り替えられる。さしずめ小型飛行機あたりは妥当性がありそうだ。子供のころ家にグライダーが2機あった。骨組みは木材、ボディは布に防水処理を施した簡単なつくり。大人2人乗りだが、極めて軽量。この操縦席で遊んだ記憶がある。感覚ではこの軽量ボディなら今の電池とモーターなら利用できると思う。ただし耐久性・安全性からは昔の素材からは新素材への転換が必要ではある。

宅急便をドローンで運ぶ計画はアマゾンがトライ中。これに自動車が加わるとなると道路に従来の自動車、上空には大型ドローン自動車集団で太陽光が遮られるような風景はご免して欲しい。上空からの落下物に注意しながら散歩など危険極まりない。ウエアラブルセンサー付きの服装で警告音を聞きながらは勘弁してほしい。

Ocean’s8に戻るが、7人が次々に連携していく度に交わされているワードが「coincide」「一致」。この映画では利害関係が一致して悪だくみに加担するときの合言葉としてつかわれているが、悪い意味でなく、利便性と環境に配慮したモノづくり、クライアントとセールスのビジネス、大きく表現すれば国と国など落としどころを探りながら調和させる知恵が我々にはある。

この映画では8人が巨額をせしめた。だが濡手の粟長者がその後必ずしも裕福ではないように彼女らもそうなるのだろう。辻褄があう。それもcoincide。

モネ100年展 (今も魅了する創造性)

秋分の日を前にして、あれほど荒れ狂った気象も漸く「秋だ」と気が付いたようだ。7月から開催されていた近くの横浜美術館にも行列が。「モネそれからの100年」として代表作品の「睡蓮」をはじめ30点。影響をうけた画家を含め印象派作品95点を展示している。

美術に疎いが、「芸術の秋」となれば、その雰囲気にあずかろうと出かけた。絵心が全くない者が感じたことを恥をしのんで書けば

1)    モネの水、空、光への観察力とそれの表現力は凄い。水はかくあるべし的な通念を気持ち良くひっくり返して見事。対象物に潜むパワーを徹底的に観察し、一旦昇華し形に転化している。

2)    対象物が何であれ、経過する時間を表現している。

3)    ダイナミックな動きは晩年まで衰えることがない。最愛の妻や子供の先立ちの不遇に遭いながらも芸術追及の軸はぶれない。さすがである。

4)    絵画は2Dではある。だが非常に微細なピッチで表現が積層されている。あたかも究極の3Dプリンターかも?と芸術の雰囲気から工業界に飛躍してしまった。ここらが悲しい仕事の癖で恥ずかしい。

瞬間を切り取りながら、時間の経過を観るものに感じさせることは超越した人ならであろう。この創造性が新鮮で今に続く系譜として多くの画家を生んでいる。

キャンパスを金属メッシュに置き換えて色・光・影の3次元表現する画家あり、緻密な版画をBGRの三層積層することで見方によって印象が異なる工夫、及びデジタル表現する画家もいることが今回の展示にもあり、なるほどと感心した。ただ、デジタルは百人が見ても同じだが、モネのそれは人により違うのだろう。その微妙なニュアンスは観る人のキャリア、年齢によって変わるのだろう。それが100年経過しても色褪せない秘密だろうと理解した。

何せ美術のセンスがないので解釈は間違ってはいるだろうが。

モノつくりで長く魅了させるには、その時代を切り開く創造性。その根幹はモノをじっくり観察し尽くし、普通と異なる事を発見したら誤差と安易に処理しないで正確に記録し蓄積しておくことが重要である。工業界でも医学分野でも同じ。だが、効率優先とあって試験装置の自動化が進んでいる。勤務時間にサンプルを用意して機械的、熱的性質などの自動測定装置にセットしておけば、翌日の出勤時間にはデーターが出ている。統計処理も得ることができる。しかしながら問題もある。例えば自動破壊測定装置では測定済のサンプルはゴミ入れに投入され、どのデーターがどのサンプルに対応するのか分からない。普通と異なることを見つけるのは難しい。

同じ破壊強度の数値であっても、破壊クラック伝播パターン、完全に破片が飛び散ったのか、一皮残っているのかの観察は耐破壊材料・製品を開発するには重要である。

数値だけで判断し、次の実験計画を立てることでは、いずれ当たるかも知れないが、時間と費用が無駄になることと、破壊の原理原則を理解しないままでは研究者として成長が止まるケースも散見される。なにより異常が創造のヒントになる機会を逃しているかも知れない

何故、このようなことが起こるのか? 学生時代にDIYで入手できる素材・部品で手作りの実験器具を作成し原理原則を頭と体で納得した経験がないまま既成の装置に依存していたことも要因であろう。モノづくり熟練者は「この製品が破壊するときの破壊歪は、この装置のスペックで良いのか?」と基本のところから考える。ダメな場合は不格好でも自作をする。

よく知られているのは携帯電話が落ちるパターンでガラスの割れ方が違うことをよく観察して携帯向けガラスを開発した事例がある。TV放映でみると如何にもベテランメンバーがあれこれ考えながらテストをしている風景。この現場感覚が重要なのだ。

芸術は工業・医学などと異なる分野ではある。先のブログでも意味的価値の芸術、機能的価値の工業製品と仕分けをした。だが、共通しているのは徹底した観察を通じて一旦昇華させ、そして創造性ある形に転化させる。

これは楽しい作業だからこそ、モネは失明の危機と戦いながら最後まで大作を描いた。我々もそうありたいと展示会を観ながらの感想である。

(挿入図は開催案内パンフからの引用)

新聞が伝えた明治

中高校生時代にこの展示会を見ることができたなら、おそらく日本近代史を今まさに同時刻で発生しているが如く印象深くかつ理解するであろう。教科書だけでは理解できないが、僅か2時間の展示コースだが約50年の歴史が細部まで手に取るようにわかる。今年2018年は明治から150年。節目を記念して展示会が横浜日本新聞博物館にて開催されている。(930日まで)

サブタイトル「近代日本の記録と記憶」として慶応4年から明治45年までの新聞記事が展示してある。新横浜に近い鴨居には5万点に及ぶ新聞記録があるとのこと。その一部を展示している。一部とは言え見ごたえがある。

まず慶応4年。戊辰戦争が終結し明治がスタートする。

一.廣く会議を興し、万機公論に決すべし 一. 上下心を一にして盛んに経綸を行うべし。で始まる五箇条の御誓文 由利公正起案の太政官日誌。教科書では確かにみた。記憶したものだ。太政官日誌をみると幕藩体制から新時代への転換に際し、かくなる高邁な指針を提出したものだと感心する。現存する記録物のもつパワーのようなものを感じた。教科書にはない。

明治にはなったが、官軍の士族は武勲に対する功労がないなど旧時代の武士の感覚が残っているのか、あちこちで士族の反乱が発生。佐賀の乱、秋月の乱、熊本神風連の乱。乱の名前と首謀者の名前だけは憶えている程度。それを伝える新聞で全容が理解できた。そして西南戦争である。当時の従軍記者のリポートを見ると、何時に戦の音が消え、何時に西郷が自害したと、あたかも目撃したように記事が起こされている。

当時は写真がない。版画を挿入しているが、1枚どころではなく多数の版画が新聞発行までに出来上がっていることには関心する。それも上出来の仕上がり。江戸時代からの美人画で活躍した絵師の力量が分かる。鏑木清方も版画を提供している。この流れが伊東深水まで系譜があるのか。。と想像するのも楽しい。 (明治21年やまと新聞 西郷隆盛)

 

福沢諭吉の新聞は広告からの収入を重視しており、分厚いが広告が占める割合が高い。新聞を経済ツールに利用することを率先したターニングポイントだった。それまでは政党が独自の主張を発露する場として新聞を発行することが多く、政変の度に改廃がつきものだった。花王、恵比寿ビールなど今もある企業の広告。化粧品では対象が男・女の順番。男にはニキビが取れる。肌も綺麗になる。女の人向けには肌がきめ細かくなり、そして万能に効果のありと誇大広告。エッ?当時の男が化粧品?と不思議。財布を握っている男も対象に入れておかないと売れないと読んだのか色々想像できる。キャッチコピーに思わず吹き出した。コピーライターは「かわら版」出身者ではないだろうか。

毎日、読売、遅れて朝日新聞が出そろった。明治25年頃には新聞発行も軌道に乗り、やがて小説家もかかる新聞社に社員として採用され、連載小説を掲載する。夏目漱石は朝日新聞に「吾輩は猫である」「それから」を連載。掲載してある新聞を展示。紙や鉛が不足していたのか、1枚にギッシリ詰めているので、文字は小さい。それでも当時の読者は毎日食い入るように見ていたのだろうと想像するだけで面白い。識字率は80%以上だからビジネスになった。

当方の勘違いかもしれないが、読売新聞のタイトル「新」にわざわざ志のルビを打ってあるには、意味があるのだろうと思った。今のマスコミに志があるのかと問いかけているようにも思ったからである。

今月、震度7の直下型北海道胆振東部地震が発生した。明治時代も大規模地震・火山噴火は一大事。濃尾尾張地震(約7000人以上犠牲の直下型)、磐梯山噴火(477人犠牲)、北海道東沖地震など。詳細報告と同時に新聞は大きな紙面を割いて義援金募集をかけている。今に通じる互助精神。150年前いやそれ以前から継続しているからこそできるのであろう。

冒頭の経綸・公論であろうか意外にも女性が演説したとの記事がある。京都では8歳の女子の主張に聴取は圧倒されたとの記事があるのを見つけた。歴史教科書では取り上げない事案が事実としてあったのだ。ifは歴史ではないが、もしあの時を契機に女性の地位が向上していれば、その後の男社会の理屈・メンツがもたらした不幸な事態は避けられたのではないかとも思い、それだからこそ、この歴史を将来に活かすにはどうしたら良いのかと、小さな囲み記事は訴えているように思えた。

日本新聞博物館 みなとみらい線 日本大通り駅(東急東横線・元町中華街行)

この度の台風21号の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を祈っております。

居座り猛暑と強力台風の9月。泡について書こうとしている丁度今、台風21号が接近。私事ですが京都から停電箇所もあるとライン。テーマの進路を若干変更して台風被害心配繋がりで電力供給について書き始める。

熱中症対策としてエアコンが利用キャンペーンができることや、満員の電車内も快適な温度で昔聞いた「不快指数」を覚えている人がすくなくなった。電力安定供給は有難い。

最近驚いたことは九州電力管内では昼間の電力供給のうち太陽光発電が80%を占めているとの情報。8%の間違いではないかと調べた。火力発電が主力で太陽光発電はまだまだサブだろうと思っていた。

どうやらその記事は記者のつまみ食い+勘違い。

1日の発電量パターンを見ると日中の発電量の5月の資料でも66%を占めているので、夏場80%なっても不思議ではないが全体で80%ではない。

https://mega-hatsu.com/17704/

この図から火力発電などベースロード発電の調整が大変面倒なことになっているのは理解が必要だろう。

トータルでは全国平均では5%前後。 

九電管内4か所の原電が復活した今、昼間の太陽光電力は余剰。余剰電力は夜間水力発電用の揚水に適用しているが、それも満杯状態でクッションがない。ここに至り、当初の契約に基づき太陽光発電を制限する措置に出た。天候に左右される太陽光発電、安定供給するためには火力発電、原電などベースロード電源が必要。太陽光発電の割合を高くすると周波数も乱れる。よほど大型の固体電池、キャパシタやフライホイールで蓄電することができないならば制限は止むをえない措置だろう。

将来は水素として貯蔵することが普及したら面白い。既に宮城県ではLPGのように水素ボンベでの供給をトライしているようだ。現在は太陽光パネル設置を増強してきた業者が泡を喰った。

不謹慎な駄じゃれはよして真面目な泡の話に進路変更。 

ところで電車で気になるのは何故か咳をする人がやや例年より多いようだ。夏風邪が流行っているのだろうか。スマホしながらの咳は手を口に当てる暇がないのだろう。迷惑千万。勤務先や帰宅すると石鹸で手を洗う。石鹸には形から区別すると固形、液体、ムース泡とある。ボディ石鹸としては泡状がなんとなく肌に優しいとのフィーリングがある。泡モコモコを店頭でプレゼンしている光景をよくみる。

都度、あんなに泡を立てる必要があるのか?洗浄効果と泡の関係はどうなんだと思っていた。初期に泡があっても肌の上で泡が消滅するではないか、単なる初めの手触りだけではないのかと素人考え。でも泡石鹸のボトルラベルには「ゴシゴシ擦らないで下さい」の注意書き。わざわざこれを注意書きするには、それ相当の理由があるはずだとも。

丁度そんなとき手にしたFragrance Journal 8月号に日下氏以下3名の研究を目にした。この文献によると泡のきめ細かさと洗浄力についての実験が報告されている。試料はミリスチン酸およびパルミチン酸の混合液にアルカリを加え界面活性剤を合成し、水溶液の攪拌条件を変えて各サイズの泡を作る。次にモデル皮脂として着色したオイルと接触させ、オイルが泡の界面を伝って浸透する様を観察している。

その結果、文献の研究者は

油剤は気泡の間の液相のネットワークに沿って,自発的に泡沫内部へと進んでいく様子が観察される.水相である泡沫の中を油が拡張していくこの過程は,乳化の一種とも捉えることができるが,外力を加えなくても自発的に進行する点は非常に興味深い。」と記載している。

 

 

 

 

 

また、洗浄後の皮膚に石鹸がどの程度残留するかの評価をすると、きめ細かい泡の方が残存量が極めて少ないことも述べている。

ここでようやくボトルラベルに記載している物理的な意味が分かった。

医療関係者にとって手洗いは重要であり、事務の人も薬用液体石鹸で特に手の甲と指の間を5分以上念入りに洗浄し、流水で同じ時間洗い流すとのマニュアルを遵守している。

自宅の洗面台に洗浄ムース石鹸があるが、さっさと洗っていた。だが、文献に従えば手に取り泡を壊さないように漫勉に塗布し、時間をおいた後、流水で洗い流す。いつまで継続できるか自信はないが、やってみよう。 ちなみに家族は帰宅すると手と足も洗う。子供の時からの習慣になっている。食器洗いは小生担当。これにも活かさねば。

空間分節“エッヂ・スピーカー”

漫才グランプリ(M-1)をとった中川家の弟の方(礼二)は鉄道マニアとして知られている。その礼二の得意ネタにホームでの自動放送と駅員の声がミックスされて混乱するさまのモノマネがある。「まもなく電車がまいります。黄色い線の内側までお下がり下さい」の自動放送の途中で駅員の早口独特イントネーションが途切れ途切れで入る。どこの駅でも同様な経験をしているので礼二の芸達者振りには拍手喝采する人が多い。「まもなく中津行きがまいります」との放送で今度は兄が倒れるパターン。中津駅は地下鉄御堂筋線の新大阪駅手前。大阪の人で新幹線に乗り遅れる経験者が多いのだろう。ここも笑いどころ。小生もその一人だった。昨日までは。

この笑いは晴眼者だからだとハッと気が付いた。放送と挿入の声が重なるのは目が不自由な人の聴力神経にとってどうなんだろうか。異なる周波数分布の音が断片的に耳に飛び込んでくる。さぞ迷惑だろう。青信号と同時にサイン音が流れる交差点がある。地下道では「こちら〇〇駅方面、反対が△△方面です」とスピーカーから流れることもある。白杖での歩行を音でアシストしている。そんな浅い理解しかしていなかった。これらの音は指向性スピーカーから流されており、今現在、どの特定空間を歩いているのかとは教えてくれない。目の不自由な歩行者は、全体の中で、どこにいるのか、この先に障害物があるのか、エスカレーターや階段はどこなのかを知りたいと思っている。 

昨日、目の不自由な人はスピーカーからの音や自分の発する音の反響で立体空間の変化を知ると聞いて正直驚きとともに凄いと思った。聴力機能を視力補完として100%以上発揮しているからこそできる。具体的には天井の低いところでは低周波数~高周波数の全音域を聞こえるが、広い空間では低周波数領域が聞こえる。これで広い空間に移動したとわかるとのこと。同時に障害物があれば低周波数が優先して聞こえると金沢工業大学の土田教授(建築学)から教えられた。

スピーカーの周囲に邪魔板を設け音が拡散せず、特定空間を分節する“エッヂスピーカー”を提唱。(図参照)

音源や強度も種々検討し晴眼者には気にならず、不自由な人には頼りになる。そんな研究をされている。ホームの「何号車の前」などの情報がこれで可能になれば利用範囲がもっと広がるはずだと講演を聞きながら考えた。

2年後にはオリンピック、パラリンピックが開催される。身体の一部が不自由でも残りの機能を100%以上に発揮してのパラリンピック競技者。肉体的戦いの前にどこの機能を活用し鍛えたのかの視点は、人間の潜在的生命力は必要とする出番が来れば補完し人は生かされていることに強く気づくであろう。ならば我々は何ができるのか。インバウンドで訪問される人にも注目され“エッヂスピーカー”がユニバーサルになればと期待しているが、介護アシストデバイスのロボットスーツなど軽量・低コスト化、駅員の補助なしに電車に乗り降りできる車椅子、四肢不自由な方の自動運転の車など相手方の事情を反映したモノづくりは意味的価値も高いと思う。

米国燃費目標 保護de反故?

スキージャンプで日の丸飛行隊が活躍すると、次の大会までに例えばスキー板の規格を変更するなどルール改訂?が欧州勢回復策として浮上し、次の大会では狙い通りになることを経験してきた。野球でも飛びすぎるバットや飛ばないボールも変更対象にあがってきた。改訂とは言えルールは共通なので、体格的に不利でもテクニックでカバーするなどで対応している。

ところが、オバマ前大統領が決めた2025年までの年度ごとの燃費目標を国内自動車産業が立ち行かなくなるとして撤廃するとトランプ大統領は言い出した。理想主義と現実主義の対立。(オバマ目標2025年 23km/L 適用商品がなければビジネスにならない商売人トランプならではの発想。技術開発を信用していないこと、EVに熱心な中国では国内EV販売が思うように進まず、やがて米国への侵入してくるであろうとの懸念も本音であろうと想像する。

 環境問題をリードしてきたカリフォルニア州は汚染空気が滞留しやすい地形を理由に独自のルールを設けている。ワシントン高官はこのカルフォルニアも含めるとコメントを出しているが、加州は強く反発している。同調するその他の州もあり米国内ではダブルスタンダード化が簡単には解消しないようだ。

(カリフォルニア州は排気ガスゼロのEV車、燃料電池車の割合が基準を満たさない場合は販売できないか他社の余剰枠を買う。この余剰枠販売でテスラモータースは日本メーカーから巨額の資金を調達した。ワシントン高官の言う通りならば返金要求可能だろうか気になる) 

ダブルスタンダードでたまったものではないのが日本やドイツ勢。トヨタ、日産、ホンダに加え、マツダ、スバルも対象となっている。州内で6万台以上販売したとしても、残りの州向けのエンジン、排ガス対策など異なる車種製造は厳しい。 加州向けに一定の割合の製造しつつ、他州には新ルール車を製造することになりそうだが、いつ新ルールが反故にされるかも不安もある。なにせ反故歴が米国にはある。

 第一次オイルショックの1970年代にマスキー法が制定され、排気ガス規制が施行するとの報告を受け、どこも達成不可能とみていたが、ホンダがCVCCエンジンをシビックに搭載し、颯爽とカリフォルニアを走行。このころマツダのロータリーエンジンが出現し世界の注目を浴びた。米国は自動車産業保護の観点からこの法案を反故にしたことがある。 反故には前歴があるのだ。

その後も自動車メーカーごとの平均燃費を規定したCAFE(corporate average fuel efficiency)規制(15km/L) がドライビングフォースとなって、エンジン改造、ダウンサイジング、内外装の樹脂化、アンダーフード部の機能性樹脂による金属代替など軽量化もありCAFEもクリヤー。平均燃費向上にハイブリッドが貢献したのは言うまでもないが、その他のパワートレインEV(電気自動車)の生産台数も増加する一方、従来のリチウム電池代替の全固体電池の姿が見えてきた。充電時間の圧倒的短縮と走行距離が延びるなど活気的な技術開発がトヨタから発表されている。同時にトヨタ、ホンダはFCV(水素燃料電池)も進展している。 

 米国勢はCAFÉをクリヤーするために何をしたか。実に面白い。CAFEルールは車格ごとに決められている。小型車を軽量化するよりは大型重量車の軽量化で基準をクリヤーする方が手っ取り早いと考えたのであろう。米国車は従来より大型化に移行している。ルールといえばルール。

ドイツ勢はディーゼルの燃費不正問題からEVにシフトと思いきや、ここに来てディーゼル復活の声が出始めた。ドイツ政府をマネジメントする立場からするとEV車での失業問題が容易に予想できるので、ディーゼル燃費不正問題がケリがついたら戻るのではないかと予想していた。

 ディーゼルエンジンは炭酸ガスの発生量が少ないがチッソ酸化物量が高いことがネック。排気ガスに尿素水(アドブルー)の噴霧と触媒の最適化で乗り切ろうとしている。 VWは尿素水噴霧をエンジン燃焼直後と床下の2か所で噴霧するなど工夫はしている。化学反応ではバッチ処理より逐次回数反応の方が効率が良い。これを利用したのであろう。尿素水タンクと燃料タンクの2つが必要。乗用車でもベンツクラスであれば尿素タンクもありだろうがCクラス適用には無理がある。

日本でもディーゼルはトラックには必要である。だが、小型トラックに関しては今年のモーターショーで日野自動車から触媒担持にナノポーラス体を利用すると尿素水タンクが不要であると発表。さらにマツダは排気ガスの一部をエンジンに戻し再燃焼することで解決している。フレッシュ空気の量がその分削減されるとパワーが出ないので全体の排気量を増加させ、フレッシュ空気の量を減らさない発想で設計した。ディーゼルエンジン本家ドイツをマツダは追い越した。

 ドイツ勢は日本メーカーのシツコク諦めない研究と経営姿勢をどう見るか興味深々。 革新的技術開発には時間がかかる。 四半期ごとの決算会計システムでは長期的な経営に障害があるのではないかとして米国で見直し機運がでてきたようだ。この場合は好ましいルール改訂だと思う。

意味的価値

経営学を学んでいる友人が米国ナイキを訪問した際に「目標 売り上げ2倍、環境負荷1/2。そしてsustainableなビジネス、社会を作る」とあったと知らせてきた。なるほど目標が曖昧で倫理綱領さえない会社がある日本よりは良いだろうと思いつつ、この目標は誰に向かってなのか?CEO、株主、投資家向けには理解するが、Company(一緒にパンを食べる仲間の意味)の社員の姿が見えてこない。

今、池田勇人が存命ならば「環境負荷1/2、継続できるビジネス、社員ともども所得倍増をし、それによる社会貢献をしよう」というであろう。

友人の解釈はこの目標を設定することが「もの作り」だけではなく意味的価値(一橋大学の延岡教授の言葉)があるとのこと。浅学の小職は意味的価値が正直分からなかった。何だか若者の「私的には・・」をも想起させてついていけない。理解不能の小生に友人から対極に機能的価値があるとヒントをもらって文献を読んだ。幾つもの機能的価値(機能的価値は評価法・測定法でカタログに明示できる)のトータルが意味的価値である説。一方で、意味的価値はユーザーの感性によるとの説。延岡教授はiPhoneは機能はその後に開発された他社品より、持っていることが愉しい。それが意味的価値だと例示されている。

この説は約8年前に発表されたが、現状はどうかと小生の経験で言えば、次世代材料や製品を考案・企画・試作・市場評価のどの工程でもユーザー満足度をまず満した上で、エッ!?「これって有ったらいいね機能」をプラスしておくことはどの設計者もデザイナーも意識している。単に製造工程の短縮で生産性を高めるだけの「もの作り」は海外勢との競争に晒されて卒業しているのが実情ではなかろうか。 

iPhoneは確かに革新的であった。ジョブズを応援したい気持ちも後押ししたのではなかろうか。機械言語をマスターしなくても、誰でもパソコンができるマックに助けられた人は多い。またトラックボール(マウスのような機能)も可愛かった。フォントのオーサカも人気があった。ウインドウズに崖っぷちまで追い込まれながらのiPod,iPad,iPhone 出現に判官びいきもあり応援した。単なる持って良かったではなく、歴史・経過をユーザーは見ている。ジョブズのプレゼンテーションは従来のやり方を変えた。これも新時代を象徴するようで、その時代を共有するにはデバイスが必須だと思わせた。

極端であるが、洋菓子の攻勢に対して和菓子も健闘している。和菓子を買う理由の一つが接待する相手に「いわれのある」茶菓子を用意することで、接遇のレベルを分かって欲しいとの思いがある。出された「いわれのある」菓子を知らずに食べようものなら恥をかくことがある。いわれのある=隠れた意味的価値なのだろう。創業100年程度では選択肢に入らないこともあるようだ。特に京都では要注意。

燃費不正は日産に始まり、スバル、マツダ、スズキ、ヤマハ と連鎖。測定法云々理由はあるようだが、国交省からのヒヤリングがあって初めて報告するとは「もの作り」としては情けないが、意味的価値では非常なダメージである。意味的価値の付加は困難でも失うのは簡単だ。これを「他山の石」と肝に銘ずるべきなのであろう。

機能的価値より意味的価値が圧倒的に突出しているのが芸術。先週金曜日、新宿柿傳にて開催の高橋奈己展「白い陰影」を見に行った。美しい襞が静謐ながら躍動的であり、かつ上品な色気がある素晴らしい白磁作品。高橋奈己さんは幾多の受賞を受けている理由が分かる。花器としては使用後の洗浄し難い口径なので機能的価値としては小さい。ところが、白磁のお茶碗で頂いた抹茶には、色彩コントラスト、適度な重量感、唇感触などを感じ思わず背筋が伸びた。

磁器の原料のカオリン(長石)はプラスチックス複合材料として利用されている。ウム。同じカオリンとして発掘されながら、最終的な製品価格はとんでもない差がある。これが意味的価値か・・・と納得して帰路についた。

私の甲子園

夏の甲子園が始まった。皆様にとって色んな想い出があるでしょう。歯科業界のなかには甲子園児だった人もおられよう。小職の高校は旧制中学当時に出場権は得たものの迫り来る戦禍に中止になった。戦後は地方大会でも1回戦負けの記録が延々と正に縁がない。陸上部からの臨時選手で埋めるようではそれも当然。それでも突然変異でプロ注目の投手が現れると3回戦まで進んだこともあるが、卒業すると元の木阿弥。 

甲子園の土は踏むことはできないが、小生にとって甲子園アルプススタンドや外野席(芝生もあった)での観戦歴は結構ある。家を朝の4時に出て、始発の阪急、阪神と乗り継ぎ甲子園に到着。脱兎如く走り中央口に並ぶ。このとき新聞紙を手に疾走するバイト学生と競争になる。バイト学生は球場オープンするやいなやバックネット中段のピッチャー球筋がよく分かるところに駆け上がり新聞紙を拡げて場所取りをする。当方も彼らに負けずに席を確保すべく、階段などの障害物を越えて目的の席へ。試合開始2時間前の障害物競走が終わると、静寂が訪れ朝食弁当にありつく。バイト学生はスカウトの為の場所取りで本当はルール違反だろうが球場も見て見ぬ振り。プロ野球で活躍しスカウトに転じた人や有名な野球評論家がいるので、そう強くは言えなかったと思う。今のスカウトの名誉の為に言うと往時の風景であって今はない。

こちらの楽しみはスカウトの雑談解説を聞くことだった。

「おい、あのピッチャー 評判だけど、もう肩がダメだな」とブルペン投球を見ただけでの判断

  →プロになったが活躍せず。

「あの監督のサインはエンドラン。バレバレのサインだ」 

→見事に当たった。地方大会から追っかけでチェックしてきたことだから言えるのだろう。現在のサインはプロ並の複雑さ。

「おい、あの監督への挨拶はどうなっているのか」と部下に指示するスカウト

「ゴーストライター記事に目を通す評論家」この記事が明日のスポーツ新聞に載る。

米国スカウトがスピードガンを持っての観戦も普通になってきたが、初めのころは放送、新聞関係者が米国スカウトにインタビューをしているのを聞こえる席で聞いていた。今年も人材が豊富なのでさぞや賑やかなことだろう。

今は見られない光景に銀傘裏天井から紐に結わえられたカメラのフィルムロールがスルスルと降りてくる風景。そうカメラマンが上で撮影したものを受け取り、新聞社に送る人がいた。熱気が籠もる場所で下には滅多にいけないカメラマン。それで熱中症にならなかったのが不思議なくらい。今ほど暑くはなかったのかも。

内野席に入れないときの外野席も結構面白い。地方色が多彩でそれぞれの地元愛を熱く語る人もいれば、プロで大成した人と同級だったが、自分は裏街道に入ってしまったと回顧反省を語る人もおれば人間模様それぞれ。で最後は食べ物、飲み物を交換しながらの観戦。目の前にホームランボールが飛んできた。その選手の名前を忘れないのも外野席の愉しみのひとつであろう。

就職先の三重県で生まれた長男は小学校時代から地方大会ネットに定石のように動かずに観戦。両校の応援団からの差し入れもあり、朝から晩まで張り付いていた。親譲りだが親以上。小生の転勤に伴い横浜にくると長男の高校は2回戦どまり。大学時代TV局の野球関係のバイトをするなかで、横浜校の渡邊監督と会話をすることがあり凄く感動したと。どの道でも極めた人物には頭を下げるだけのパワーと魅力が備わっていると長男からのコメント。この長男も今年の横浜高校の試合日程で甲子園に駆けつけると聞いている。実家に寄るよりは甲子園が惹きつける。これも甲子園の魔物かも。

81512時の合図にスタジアムは静まり黙祷を捧げる。黙祷の間は無心であるが、終わると何故か戦争の戦略・戦術と野球と似ていないか?など思いつくことがある。欧州にいた外交官からは戦争突入せずに、別の和平方法があるとの強いサインを出していながら、無視して強攻策をとる大本営。 日清・日露の地方大会で勝利したので世界大会でも勝てると盲信した当時のエリート。それを囃し立てるマスコミ応援団。相手のベンチのサインを読み損なった結果、最後は自滅コールドゲームで敗戦。その間に散った犠牲者を考えると戦いの前から、かのスカウトの読みのようにしていれば。。。と思わざるをえない。スケールの大小はあるが人間のやることはあまり変わらない。